「思い出を切りぬくとき」萩尾望都

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萩尾望都、漫画家生活40周年記念!20代の頃の貴重なエッセイ27本を収録。
[目次]
1 のちの想いに(しなやかに、したたかに;秋の夜長のミステリー;名前というもののあれこれ;人の往来;日本語は論理的なのか;清く正しく美しい場合;作家と編集の間には;思い出を切り抜くとき);2 風をおどるひと(モーリス・ベジャールの『近代能楽集』;ファウストの謎;バリシニコフについてのおしゃべり);3 初めてのものに(アニメーション・ベスト5;私をビックリさせた映画『第三の男』;海色のびいどろ玉と魔女のひとりごと;お砂糖抜きの紅茶は“本当の味”がするんです;ホットコーヒーの話;少女漫画の新しい波・波・波;ホッチキス片手に手作りのアンソロジー;パリの「流れ星ホテル」に泊まったとき;ヨーロッパ、ステーキめぐりでこけた話;ピカソ美術館;お酒の話;子ギツネの話;白ケムシの話;猫マクラ物語;仕事中断の苦しみについて;性善説と性悪説の話);私と他者


来たるデートに向けてちょっと予習をば♪と手に取りました。
萩尾先生が20代後半から30代の頃に書いたエッセイ集。先月の「ダ・ヴィンチ」に東村アキコ特集で記事を寄せていましたが(この組み合わせが意外!でも萩尾先生は東村漫画の大ファンらしい)、萩尾先生は「おっとり」というイメージが固まりつつあります。作品の深さに反比例して激しさを感じさせない方というか。おっとりフワフワしているようで、でも決して世間から浮いているわけではない。地に足が付いた視点も存在している。
ああ、この人から「トーマの心臓」や「残酷な神が支配する」が生まれたんだ―と、ストンと腑に落ちる感じです。

意外だったのは、先生が一人っ子でも第一子長女でもなくて4人兄弟(姉・妹・弟)の2番目だったこと。「イグアナの娘」を描く人は絶対に長女だろうと勝手に思い込んでいました。そして、「望都」が本名であることも初めて知りました!素晴らしいセンスですね。エッセイ内で家族のことはお姉さんについて少し語られます。解説でよしもとばななも云っているように、このお姉さんの話のときだけ萩尾先生の感情が高ぶっているのがわかります。並々ならない屈折した思いが見え隠れして、面白いです。その感情については後書で触れていますが「自分と他者の区別が付かない子供だった」という一節に頷くところがありました。娘が母親(姉)に反発したり苛立ってしまうのって結局「自分と母親(姉)は他人である」という事実が上手く呑み込めていないからだと思うのですよね。少なくとも私はそうだった。私が好きなものは母も好きであると無条件に思いこんでいたというか。萩尾先生はお姉さんとの「区別」を付けられるようになったのか、今は穏やかだそうです。そういえば、ちょっと前の「婦人公論」で母娘問題について対談していた号があったはず。図書館でチェックしようかしら。

名作が生まれる背景にある驚きの裏話も面白い。今も昔も漫画家と編集者の攻防があってこそ、私達の手元には面白い作品が届けられるのねと感心しきりでした。「トーマの心臓」が連載打ち切りの危機にあったというお話はCさんから聞いて知っていましたが、そもそも「トーマ」が週刊連載ってのが凄い。区切りを意識して読みなおしてみようと思います。そしてやっぱり転機は「ポーの一族」なのですね。一読してよく分らずに手離してしまったのよね・・・再購入しようかなぁ。ところで私と友人は中学生の頃に「半神」を読み「よくわからないね」と云い合った記憶があるのですが、昔の少女漫画を読み慣れている人々との感受性の差のようなものを感じずにはいられません。私が小学生の頃に読んでいた「りぼん」はほとんど「恋愛」がメインだったけど、もっと違うテーマの漫画に早くから触れておきたかったと思いますよ。まぁ、今更ですね。

学生時代のアルバイトの話や友人と旅行した海外の話など、軽やかにおっとりとすべてを受け入れている様子が伝わってきます。「ピカソ美術館」のくだりがいいですね。バレエや舞台もお好きのようだし、趣味を多く持ち良く遊び良く観るというのは、創作活動にも欠かせないことなのでしょうね。それにしても・・・やっぱりお金があるのだなぁ(当たり前か)と世知辛いことを考えてしまった庶民です(笑)

さて、そのバレエ鑑賞の回で「バリシニコフ」について語っています。残念ながら私は知らないのですが(っていうかバレエ観たことありません・・・)、すごくすごく好きなんですね。その彼のことを。10日間の日本公演のチケットを全部購入して仕事を休んで会いに行くほどに。バレエを知らない私でもその「バリシニコフ」がいかに素晴らしい才能を持っているかよ~く伝わってくる。そのエッセイの締めくくりが以下。

信じられない。奇跡のようだ。才能は遺伝か環境か。おそらく双方だ。地球上で最も美しい人間のかたちと動きの結晶。それを今、見ることができる。百年前に生まれても百年後に生まれても見ることができない、脳ミソがふっ飛んでしまうような芸術を、今、同時代に生きて見ることができる。この機会を、時間の神様に、心から心から、感謝することにしよう。

とても熱烈な愛の言葉だと思うのですが、これを読んだ瞬間思い出したことがありまして。
それは昨年「残酷な神が支配する」を読んだときのこと。あの作品を読んだ時に私は何も考えずに感想で「天才」という言葉を使ったのですよ。作家にたいして「天才」という言葉があんなにスッと自然に馴染んだことはなかった。そして、バレエと違って漫画は後世にも同じように語り継がれるものだけど、それでも「同時代に生きていること」に感謝をせずにはいられなかったのよね。

漫画よりも気軽に読めるシンプルなエッセイだと思います。気が向いたらどうぞ!

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『こころ』は本当に名作か(小谷野敦)

あっ、小谷野さんだ~
今度は何にイライラしているのかしら~(ニコニコ)

と、私は小谷野さんを見かけるたびになぜかほわんとした気持ちになるのですが、ご本人が知ったらさぞお怒りになることでしょう。いつの間にか名前を「アツシ」から「トン」に変えてらっしゃったのですね。何があったのでしょうか?露悪趣味のきらいがある人なので調べればすぐにわかるのだろうけど、まぁいいや。
私と小谷野さんの出会いは数年前、夕方のAMラジオでした。まだ実家に居た頃、珍しく夕飯の手伝いをしながら母が愛用しているラジオを何気なく聴いていたのです。夕方のパーソナリティに相応しい柔らかな女性司会者の声と・・・夕方には怖ろしく不似合いな超不機嫌な男性の声。
そして耳に入ってきた言葉に私は呆然としてしまったのですよ。
「だから私はモテナイんですよ!!」
「恋愛は特殊な技能なんです!!」
「世の中には恋愛が出来ない人間もいるということを世間は認めるべきだ!!」
そのようなことを延々と超不機嫌な声で喋り続ける人、それが小谷野さんでした。
当時私は姫野カオルコに傾倒していて、女性にとっての「非モテ」や「否恋愛」のことについて考える機会が多かったこともあり、声高に「モテナイんだ!!」と叫ぶ小谷野さんに大変興味を持ちました。番組の終盤に「男性が書いた童貞小説というのはたくさんあるが、女性が書い処女小説はあまりない」的な事を仰っていたので、その場で「姫野さんを読んでください!」とFAXしようかと思った程です。
そしてすぐに著作『もてない男』『帰ってきたもてない男』(ちくま新書)を読み、ファンてわけでは全然ないのですが、「微笑ましい存在(大変失礼ですね)」として私の中に位置づけられました。
いやもう、小谷野さんてばイライラしすぎ!さぞや生き辛いだろうなーと思う。でもそんなところが好きだったりするのです。この人フェミコード踏みまくりだし、ホモフォビアの気もあるし、わざと敵を作るような偽悪的な部分もあるしで、偏見思いこみだらけの人なんだけどね。ダメな大人ですよ。だから私のように「また何か言ってるよ~」と話半分で気軽に読むのが良い気がします。

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そんな小谷野さんの「『こころ』は本当に名作か」を読みました。
私は書評本が好きで結構よく読むのですが、この新書は完全にタイトル勝ちかと。本当に小谷野さんの個人的な好き嫌いに基づいて「日本人必読の名作」を〈最高峰〉〈トップクラス〉〈二位級〉に分けて紹介しているのですが・・・最高峰の最初が『源氏物語』次にシェイクスピア、ホメロスと続きます。ホメロスですか・・・うん、名作なんだろうけど・・・この紹介文を読んで「読もう!」という気にはならないよ。だって説明短すぎるし、小谷野さんの「好き嫌い」が全面に出過ぎていて少なくとも「案内」にはなっていない。まさに「正直者」。読み物として面白いタイプの書評本です。古今東西の古典をこれでもか!と紹介しているのですが、私がきちんと読んだことある本なんて10冊もありませんでした。
「ドン・キホーテ」、本棚で眠ってるし・・・。小谷野さん、私は女性ですけど「ラ・マンチャの男」大好きですよ。確かに松本幸四郎の声は聞き取り難かった。

で、肝心の『こころ』です。
恥ずかしながら昨年の夏に始めて『こころ』を全編読み、そのホモっぷりに感動したのですが、確かに「本当に名作か?」と言われると「腐女子としては名作だと思います!」としか言えない自分がいたのですね。だから正直者の小谷野さんの意見を読んでみようと思い買ったのです。
今仮に『こころ』で読書感想文を書きましょうと言われたら私はとても困ると思う。だってあの話は「友情と恋愛の板挟みで苦悩する知識人の話」として知られているけれど、そんな観点から語れないぐらい「私×先生」「K×先生」の話だから(笑)
ま、小谷野さんはそんな同性愛的観点から語ってはいないのですけどね(当たり前)。しかし小谷野さんの「同性愛的」な小説への反応は過剰だ・・・。
この本で小谷野さんの主張はひとつで、小説を楽しむ為には読者個人の年齢、経験、趣味嗜好に左右されるから、人によって楽しいと感じるものは人それぞれで当然であるということ。それによると、小谷野さんが考える漱石とは「母に愛されなかった人の文学」であり、母の愛情を受けて育ったと感じる人間には共感するのが難しいのではないかということ。ちなみに小谷野さんは母に愛された側。
漱石が女性を書くのが下手だったというのは私にはよくわからないけど、この時代の小説って、男性の男性による男性のための小説だったのではないかと思うんだ。「女性が楽しむ」というのは長いこと男性作家にとっては関係ないことではなかったのかなと。だから、男性である小谷野さんが漱石、鴎外、太宰、谷崎、川端、三島を取り上げて「母の愛の在、不在」について語るのをとても面白く読みました。漱石の部分も楽しかったけど、三島を露出趣味の変態と言い切った『金閣寺』の部分も楽しかった。いいのか、こんな事書いて!?やっぱり好きだわー。

「私には疑わしい名作」と章題に付いているけど、正しくは「私個人的にはあまり好きではないので名作とは言いたくない名作」かと。そのぐらいの軽い感じで読める書評本です。



「母は娘の人生を支配する」

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娘を過剰な期待で縛る母、彼氏や進路の選択に介入する母…娘は母を恨みつつ、なぜその呪縛から逃れられないのか?本書では、臨床ケース・事件報道・少女まんがなどを素材に、ひきこもり・摂食障害患者らの性差の分析を通して、女性特有の身体感覚や母性の強迫を精神分析的に考察し、母という存在が娘の身体に深く浸透しているがゆえに「母殺し」が困難であることを検証する。「自覚なき支配」への気づきと「自立」の重要性を説き、開かれた関係性に解決への希望を見出す、待望の母娘論。

昨年話題になった選書です。表紙によしながふみを起用するあたりがもう読むしかない!といった感じだったのですが、「母娘問題」はちょっと重いテーマなので先延ばしにしていたのをやっと読みました。
ノンフィクションは細かく章立てされているため、読んだ端からその章のテーマを忘れていくという悪循環にハマりやすいのですが(すみません、私がおバカなだけです)、これは大変面白く読みました。が、が、きちんと著者の主張を汲んだ感想になっているかは、まったく自信がありません(笑)

無駄に長いのでたたみます。

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「先生と生徒の恋愛問題」(宮淑子)

タイトルだけ見ると先生×生徒のBLのようですが、違います。
新潮新書の今月の新刊から。今や新書はナンデモアリの世界と化していますが、ちょっと気になったので読んでみました。下の解説を読むとわかりますが、内容は限りなくゴシップ誌に近いものがあります(笑)

勉強や部活から将来の不安まで親身になって相談に乗ってくれた担任の先生。進路から家族のことまで心配してくれた優しい女教師…聖職者と思春期の生徒は、なぜ恋に落ち、どのように恋愛を発展させたのか?わいせつ行為で処分された先生や年齢差を乗り越えて結婚したケースなど、当事者たちの生々しい言葉からタブーの実相に迫る。

常々私は先生×生徒を苦手だなーと思っていまして(現実でも同じ)何だか生理的な嫌悪感があるのです。でもまぁ「嫌」だけではそこで止まってしまうので、ちょっと実際はどーなのよ!?的な好奇心から当事者たちの話を読んでみたいなと思いました。
が、なんというか・・・所詮男と女なんだよなと。
「聖職者」であるべきという押し付けが私の中にもあり、教師たるもの是が非でもその点を貫いて欲しいと考えているのですが、これは無理かもしれない・・・。だって可愛い女子生徒が真夜中に助けを求めて家に来るんだよ?大抵そういう子は家に問題があったりするわけで、精神的拠り所を親に求められない子どもの逃げ場は自然と教師になるんだよね(家に問題がなく教師が嫌いだった私には考えられないけど)。教職に情熱がある先生ほど恋愛関係に陥りやすいそうですが、他人である人と人が一番近づく関係が、やっぱり恋愛であることを考えると仕方がない気がしてきました。ならば!せめて身体の関係だけでも卒業まで待ってくれよと思うのですが、「プラトニック」」だったと当事者がどんだけ訴えても世間はそんなん聞く耳持たないよね。だって、生徒に手を出した先生=絶対悪なんだもの。
それでも私は「お付き合い」自体を頼むから卒業まで待ってくれよと言いたい。大人は子供を救うことが出来ると思うよ。でも、恋愛という関係には終わりがあるじゃないか・・・。そこは大人が分別を持って引っ張り上げてほしいよ、なんて都合のいいことを言っても今私が10歳も年が違わない子たちの悩みに真摯に答えて何らかの答えを与えられるかといえば絶対にムリで、逆にその悩みや葛藤に自分のテンションまで持って行かれる自信があるわな。
先生の行動の幅はどんどん限定されて、教育委員会や保護者やメディアからの締め付けばかり厳しくなる。この時代にまともに先生をやるって本当に大変なんですね。もう少し温かい目で見ようっと。

結局先生×生徒に対する「嫌」は変わらないなぁ(笑)自分から生徒に粉かける不良教師なんて論外だし、「先生、抱いてください」なんて生徒に迫られて本当に抱いちゃうやつも嫌だ。じゃあどうすればいいのかって、私は断然生徒×先生なんですよ!ビバ、年下攻め!「先生、抱かせろよ」で抱かれちゃうやつはいいのかい(笑)攻め受け逆転しただけで一体何がこうも違うのかと思いますが、生徒×先生は大好きなんですねー。不思議な腐女子心です。
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Author:yori
気がつけばいつもそばにBL

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