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映画版「まほろ駅前多田便利軒」

「まほろ」の映画を観てきました。
以下、短く感想。

過去の事故から望まない関わりを持つ羽目になってしまった男二人の不穏な日常ドラマ。
未だ完結をしていない「まほろ」とは結局そういう物語だと思うのだ。
追ってしまった罪への後悔や拭えない生い立ちの記憶、そういう持ち物を誰しもが抱えながら、一人ではちょっと寂しいからたまに他人と一緒にいようとする自然な行動、それをフィクション的な舞台装置と事件で装飾した物語。主役二人が原作の設定よりもかなり若い分、便利屋稼業という看板に一層の不信感が出ていたように感じた。まともな神経の持ち主なら「彼ら」に子どもの送迎は依頼しないだろうなぁという類の不信感だ(由良の母親はネグレクト気味なので活かされている)

行天の破滅願望というかエキセントリックさは大体原作通りだった。
奇妙な笑い方は滴るような色気の代わりだと思えばそれもまたありだ。
一番イイと思ったのは暴力シーンかな。無表情でありながらちょっと楽しそうという絶妙な顔をしている。
多田の魅力は「倦怠と哀愁」だと思うのだが、若い俳優からは怖いぐらいの「無気力さと不安定さ」が漂ってきて、自分の身に起きたことを何にも飲み込めていない未熟さが前面に出ていたように感じた。多田の若い頃、というわけではなく、「若い多田」ならこう描くのは納得が出来た。しかしあまりに情緒不安な役だったので、二人の未来に「希望」の文字が微塵も見えなかったのが気がかりだ。もう少しコミカルでふざけた場面が多くても良かったのではと思った(最後に流れる登場人物達のその後のような)何せ二人とも若いのだから!そう、彼らにドン詰まった表情はまだ似合わない。
あと演出上だがら仕方ないのだが、人物の沈黙場面と多用される喫煙場面には若干辟易したかな。


正直に云えば、期待通りというか予想通りの映画ではあった。
というのも、これはまったくの個人的な意見だが、作り手側の戸惑いのようなものが透けて見えてしまったような気がしたから。それは三浦しをんの原作を読んで私が感じたことだが、「二人が一緒にいる理由」について、作り手側が疑いを抱いているのではないかなというものだ。要するにフィクションがフィクションであるという事実に負けているのだ。その違和感のようなものを山田ユギ版ではあまり感じなかったから、もしも製作者が女性であったのなら、まったく別の印象を抱く作品に仕上がっていたかもしれないなと思った。って、キレイにまとめた風だが要は萌えをもっと!という結論じゃないか…。

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「まほろ駅前番外地」三浦しをん

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ゆっくり読んでいたら買ってからかなり時間が経ってしまいました。
「まほろ」の続編「まほろ駅前番外地」―多田と行天に再会する喜びを噛みしめました。前作でお馴染みの人々が出張って登場しますが、中心は便利屋の二人なので「番外編」というよりも「続編」です。
脳内のキャラはもう完全にユギさんだ(笑)12月発売のコミックが今から楽しみです♪

多田と行天の関係は「得体の知れない居候」から「使えない仕事の助手」に順調に進展しているようでニマニマしました。ただ、私が「番外地」を読んで感じた萌えは「まほろ」の時にも書いた事とほとんど同じなのですね。人生にドン詰まっている男二人が、それでも日々の仕事を淡々とこなしながらしぶとく生きている。その様になんともたまらんストイックな色気を感じます。やり甲斐のある仕事にキラキラしている人よりも鬱屈を抱えている人の方が断然面白いと思ってしまう。二人の関係に対してはやおい的に捉えて萌えているような、ぎりぎりその一歩手前で踏みとどまっているような、「もどかしい」を楽しんでいる感じです。「月魚」の書き方はアウトだったし、短編集に入っている直球な話もあまり好きではなかったのだけど、「まほろ」は好きなんだよな。多田の抱える空虚さも行天の抱える闇も、何ら前進はしないように見えるのだけど、他人と共にあるだけでも、それはある意味救いなのかもしれないと思いました。一人よりは二人という感覚はわかる気がします。
これで終わり!?というラストなので更なる続編を期待。

以下は三浦しをんについて思う所を少し語ってみました。
全作全肯定派のファンの方はご注意くださいませ。

「人情物」を名乗っておきながら、周囲の人物達に演じさせるだけで肝心の主人公二人の心が寂しいままという部分に、しをんさんの小説を読む時にいつも感じる違和感の正体を見たような気がします。たぶん、しをんさんは「人情物」が好きで創作物として愛しているのだと思う。でも、内心では(自分が創作する立場では)あまり信用していないのではないかな。上手く云えないのだけど、エンタメ作品について「こう書いておけば大丈夫―」と著者自身が過信をしているのでは?という不安定さを感じてしまうのよね。芥川のキャラでエンタメを描こうとしている、もしくは直木の設定で日常を描こうとしているような―ちぐはぐした感じが拭えないというか。もちろん半端モンの本読みである私が勝手に思っている事だし、エンタメと純文の住み分けなんて、最早あってないようなものだから考えるだけ無駄というのもわかるんだけど。もっと簡単に云ってしまえば、「まほろ」には明確なカタルシスがないのよね。もし、これで本当にシリーズが終わるなら、最終話で行天に何らかの希望を見せて欲しかった(行天が多田と共にあること自体が希望なのかもしれないけどね)し、示すべきだったのではないかな~なんて思ってしまうのよ。それをしなかったしをんさんは、上記のように「人情物」にどっか不信感があるのでは?となんとなーく感じてしまった。
この私の邪推は否定のしようもなく「腐女子」という共通のメンタルゆえなので、今までは気にしないどころか公言している姿を「心強い」という風に見ていたけど、あまり著者の傾向を知ってしまうのも考えものかもしれないと思いました。余談ですが、長野まゆみは対談で「JUNEをギャグだと思っていた」と云うぐらい、所謂「腐」とは無縁だったと仰っています。それを読んだ時に「えー?うっそだぁ」と思うと同時に安心している自分が居たのも事実。あと、私はあさのあつこが好きではありませんが、彼女も公言はしない(少なくとも私の耳には入ってこない)ので、その点ではまだセーフです(偉そうに本当スミマセン)。
描かれる人物がBL的であることは構わないけど、エンタメに徹し切れない部分がある小説を書く人だよなーと、以前から見ている自分がいたのでちと吐き出してみました。BLからも一般書からも半端なブログの戯言とはいえ失礼しました。しかし私、「光」の時もかなり辛いことを書いてしまったよな。いや、好きなんですよ!エッセイを単行本で買う作家なんてしをんさんだけだもん。「まほろ」も本当に好きなんだよ!あまり伝わらないかもしれないけど。



「星間商事株式会社社史編纂室」三浦しをん

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川田幸代。29歳。会社員。腐女子。社の秘められた過去に挑む―。本間課長は言った。「社史編纂室でも、同人誌を作ろう!」その真意はいかに?風雲急を告げる社史編纂室。恋の行方と友情の行方は、五里霧中。さらには、コミケで人気の幸代の小説も、混乱に混乱を!?これでいいのか?わたしの人生。

しをんさんの新作。
前作「神去なあなあ日常」は書評の評判も良く、読みたかったのだけど財布事情と相談して購入を見送りました。ハードカバーはやっぱり厳しいのよ・・・本を買うのだけはお金を気にしたくないのだけど、そんな夢のような夢は見てはいけません。

意外にも等身大の女性が主人公の長編って初めてなんですよね。しかも主人公が腐女子ってことで、これは読むしかないと思ったので即購入しました(笑)
うーん、やっぱり面白い。コミカルで荒唐無稽な展開をぎりぎりのバランスで支えているのは一体何だろう。勢いかな。それは支えているとは言わないか。とにかくしをんさんの小説は読む手を止めるのが難しい。しかし、正直この話のあらすじでは手に取る人が限られそうだなーとも思った。だって、会社の裏社史を冬コミで販売する話ですよ!?しをんさん以外誰が書くというのか!そして一般読者は受け入れるのか?ま、それは置いておいて、コミケ参加者の裏事情が知れたりと、オタク心をかなり満たしてくれる1冊でした。
しかも、作中作として幸代が書いている同人小説が入っているというサービス(?)っぷり。普段読んでいるBLを3倍ぐらい甘くした、ロマンスたっぷりの「オヤジ受け」小説です。さすがに濡場はないんですけどね(笑)
普通の女の人(腐女子だけど)が主役の話もいいなと思いましたね。妙齢の女性が人生についてグルグル考えるような話は他の作家に任せておこうよ!とも思いますが、ちゃんとエンターテイメントしているし、込められているメッセージは「書くこと」に真摯に取り組んでいるオタクにとって強い励みになると思いました。しをんさんがエッセイなどで叫んでいる、小説や漫画による救済という希望を盛り込んだ良い話だと思います。


今、本屋大賞を受賞した「一瞬の風になれ」を読んでいるのですが、1巻時点では正直「う~ん」といった感じ。明治さんが大好き!ということでブログにアップしているのも手に取った理由の一つなのよね・・・。「好きな作家の好きな本は好きとは限らない」は昔から実感としてあることなので気にしませんが、男子高校生の1人称がこんなにも苦手とは・・・色々遠いなーと軽く途方に暮れてしまいました。3巻まで読んだら180度変わるかもしれないんですけどね!「バッテリー」のような萌は今のところないかなー。いや、「バッテリー」にも個人的にはまったく萌えなかったんですけど、スポコン小説ということでなんとなくアリなのかなと思っていたので。

一般書つながりで呟きますが、講談社文庫から「コインロッカー・ベイビーズ」が新装版で発売されました。既刊本の字の小ささには心の底から困っていたので嬉しいなと。

あとは凪良さんの新刊をゲットしたので早く読みたくてウズウズしています。もちろんこれが一番楽しみですとも!

「まほろ駅前多田便利軒」

「ピアニッシモ」が休刊。
山田ユギ先生の「まほろ」はどうなるの~

「ピアニッシモ」が遅かれ早かれ休刊になるのなんて創刊したその日からわかっていたことだけど(失礼)、コミックス化もされないうちに中座とは残念至極だよ。あんなターゲットの不明瞭な雑誌、売れるわけないじゃないか!そりゃあ毎号立ち読みで済ませていましたとも!どこかで連載続けて欲しいけど、ポプラ社には他にコミック雑誌なんてないしなー。記念に買っておこうかしら。ユギさんの「まほろ」、好きだったのに・・・。

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直木賞受賞当時は世間の風評と同じように「BL(ラノベ)じゃん」と悪態付いていた私ですが、紆余曲折を経て(抱腹絶倒エッセイを読んで)普通に三浦しをんのファンになった今読み返してみると、とても好きだと思いました。まず、ラノベとして読むか文芸として読むかという自分の中の固定観念が、ここ数年でかなりなくなったのが好きになった要因のひとつかと。楽しいものは楽しいし、BL(ラノベ)にだって素晴らしい話はある。BLとして発表されなければ、文芸誌に載って何らかの評価を受けるのでは?と思う作品もある。ジャンルや発表形態に捉われずに、柔軟に楽しめば良いのだと思います。

まほろ市は東京のはずれに位置する都南西部最大の町。駅前で便利屋を営む多田啓介のもとに高校時代の同級生・行天春彦がころがりこんだ。ペットあずかりに塾の送迎、納屋の整理etc.―ありふれた依頼のはずがこのコンビにかかると何故かきな臭い状況に。多田・行天の魅力全開の第135回直木賞受賞作。

しかしですね、三浦しをんが書いている時点でそこにBL要素を見つけないわけにはいかないんだよ!でもBLを期待して読むと、二人の関係にはもちろん恋愛要素なんて微塵もなく、あるのは過去のわだかまりと似たもの同士の孤独な魂が、エンターテイメントしつつ抑制された表現で描かれていて・・・正直不完全燃焼なんですよね。だから、好きなんだけど何に焦点を絞って語ればいいのかイマイチよくわからない作品です。「人情物」と言い切るには渇いているし、多田の性格は「苦労性の兄貴」と表現するには屈折したものを抱え過ぎているし。とにかく第一に云えることは、私はこの話の設定がとても好き。「便利屋」には「探偵」と似た胡散臭さがあって、大してドラマライクでもなさそうな日常なのに微かにハードボイルドの匂いがして、単純に憧れます。いい年した女がハードボイルドに憧れるとか言ってるあたり痛いですかね(笑)男が一人で仕事をしている姿が好きです。何にも属さず底辺の方でしぶとく生きている様に色気を感じます。実はダメダメな多田ですが、私はこの男好きですよ。いつまでも傷を抱え続ける自虐的な様も含めて、なんだろう、苛めたくなりますね。多田も十分「漫画的」な人物だけど、行天はそれに輪をかけて漫画的。高校時代はクラスメートと一度も一言も口をきかなかった変人で、再開してからは饒舌なものの掴みどころがなく、子獣のような扱いです。そして恐らく幼少時に負った虐待のトラウマからか、他人と抱き合うことが出来ない。私は行天が童貞だという部分に、非常に萌を感じてしまったのですがどうでしょう。話は多田が営む便利屋に、無職になった行天がひょんなことから転がり込む(押し掛ける)ところから始まります。そこから「まほろ市」で起こる様々な事件(?)に二人が巻き込まれていく連作短編です。しをんさんは、たぶん自分でもこの話で直木賞を取るとは思っていなかったんじゃないかな?限りなく「BL匂」がするエンタメ小説を文芸誌が許すギリギリのラインで書いてみよう!という心意気を感じます。だって、この話はたぶんもっと深く濃くしようと思えば出来ると思うもの。比較として出すわけではないけど、菅野彰の『毎日晴天!』のような人情物にもなると思う。でも、そこまではやらないんだよ。一般文芸だからではなくて、しをんさんがBLを愛しているからこそやらないんだと思う。エッセイを読めば分かるけど、しをんさんのBLへの敬愛は限りなく深くて、自分の仕事とは一線を画して考えているのが伝わってくる。本当に好きだから、書かない―私が勝手にそう思っているだけですけど、そんな気がします。

一人でも平気。でも、二人でも平気なら、人は二人を選んでしまう生き物なんだよね。多田と行天の名前のない関係がとても好きです。じわじわと湧いてくる情のようなものは、傷を持った大人の二人をどこに連れていくのだろう。ああ、続編が読みたい。

「光」(三浦しをん)

予期せぬところで同時に読んでいる本のテーマがかぶることってありませんか?
その本のことしか考えられないほど夢中な時って、自分の感覚が妙に研ぎ澄まされて普段なら気にしないような偶然も必然だと思いたくなってしまうというか。何が言いたいかというと、たまたま「読むぞ」と決めていた漫画と文芸書のテーマがたまたま同じだったんですね(漫画の方は知っていたけど)。
相乗効果で良い結果になることもあるのですが、今回は残念ながら9:1で漫画に軍配が上がります。文芸書の出る幕ではありませんでした。もし同時期に漫画を読んでいなければそれなりに心に残ったかもしれないのですが、これはタイミングが悪かった。

その漫画は『残酷な神が支配する』(萩尾望都)、文芸書は『光』(三浦しをん)。テーマは「暴力(と再生)」
漫画の方は追々感想を書ければと思いますが、まともなことが書ける気がしない。人の心が壊れる瞬間をこんなにも的確に表現すること、それは文字でも映像でもなくて「そうか漫画か」と震えがくるぐらいの衝撃でした。

三浦しをんはいつの間にか新刊買いの作家になったのですが、良くも悪くもこの人の作品は「漫画的」だと思うの。それが吉と出たのが『まほろ』『風が強く』『仏果』のコメディー要素が高い作品で、明るく熱いエネルギーが魅力であって、『私が語り始めた彼は』のような暗い話も好きだけど文芸性を損なうような暗いテーマではなかった。文芸性を損なうというのは私の勝手な解釈だけど、暴力、悪、殺人が主題の『光』はどこか「借り物」のような印象が拭えなかった。三浦しをんが書くのなら、もっと違う書き方があったのではないかという感じ。登場人物の誰にも救いがないのよね。だからといってノワール小説と言い切るほど徹底はしていなくて。結局帯の言葉を読んで想像した物語の範疇をあまりにも出ていなかったのでガッカリしているのだわ、うん。

天災ですべてを失った中学生の信之。共に生き残った幼なじみの美花を救うため、彼はある行動をとる。二十年後、過去を封印して暮らす信之の前に、もう一人の生き残り・輔が姿を現す。あの秘密の記憶から、今、新たな黒い影が生まれようとしていた―。

本を読む手は止まらなかったので語り方は上手だと思うんだけど、ずっと「どこかで読んだ気がする」感があり、東野圭吾の『白夜行』にちょっと似ているかも。突発的に訪れた天災という名の暴力は、信之をとてつもない暗闇に落とすけど、シリアルキラーのような彼の不気味さと深淵が見えてこなかった。普段と違う三浦しをんを読めたということで納得するとしますか。
プロフィール

yori

Author:yori
気がつけばいつもそばにBL.猫かぶってみても、結局たどりつくのはそこなのです。感想は基本的にすべてネタバレ注意です。拍手&コメントありがとうございます。拍手コメントは該当記事のコメ欄にてお返事いたします。リンクフリーですがご一報頂けると嬉しいです。

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