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「堕ちゆく者の記録」(秀香穂里)

『9月1日、俺は目覚めると、檻の中に囚われていた―』ある日突然、勤務先の青年社長・石田に監禁されてしまった、デザイナーの英司。「今日から君をAと呼ぶ。これは三十日間の実験なんだ」石田は1冊のノートと鉛筆を渡し、日記を書けと命じてきた。名前と自由を剥奪され、身体も精神も支配される―官能と狂気に晒されて、人はどこまで理性を保てるのか、衝撃の問題作。

昔は監禁凌辱モノが好きでした。何を求めていたのかといえばエロを求めていたとしか云えないあたりどうなんだと思いますけど、世界には二人きりという状況で追い詰められて身体はおろか心まで支配される関係に悶えていたのですね。
今は、二人を取り巻く世界があって、その世界は開かれているのに「二人だけ」を選ぶ(って普通の恋愛は大抵そうだけど)関係の方が好きです。誰にもムリヤリ人を閉じ込めて変える権利なんてないし、そこまで二人が近い(監禁という行為による物理的な近さ)関係は今の私の気分に合うものではありません。

と、前置きはこのぐらいで・・・この本、面白かったです(あれ?)
大前提として攻めが「正気の状態で狂っている」というのが凄い。会社の部下である成人男性を30日間監禁して、その様子を日記に書かせるという「実験」。それを冷静沈着に淡々と実行する石田(K)の不気味さが半端じゃないです。「愛しているから」なんてお為ごかしは一切吐かず(ある意味「愛」なのだけどね)、実験対象としてAを凌辱していく徹底ぷりに読んでいてゾクゾクしました。
監禁された人間の心理に非常にリアリティがあったように思います。監禁した相手に恋愛感情を抱く。まぁ監禁ものBLはオチとしてほぼそうなりますけどね。BLですからね。不条理なんだけど、生存本能と相まって理に適っている気がしてくるのよね。それがもう良いことなのか悪いことなのか誰にもわからなくなってしまう。開けた世界には日常がある。でも日常って一体何?それがどんだけ価値のあるものなの?って繰り返し繰り返しこの小説自体に問われている気分になってくるの。恐ろしいよ。日常で感じる乾き(職業デザイナーとしての自分の存在意義)から目を反らしていたAにとっては、監禁という極限状態で生み出されたデザインの方が価値のあるものだったという、すごい、すごいけど、心のどこかで理解出来てしまう結論を出すのよね。攻めとの恋愛関係ありきではないんだよ。狂うか狂わないかの極限状態を生み出してくれる攻めありきなんだよ。なんてストイックで強烈な回答なんだろう。そんな回答を出してしまうAだからKに目を付けられてしまったわけですが。
Kの動機には正直、心の底から迷惑な話だし大して同情する余地もないよと思いましたが、そこは「狂人」だから、ね。それにKはAに自分の生い立ちを詳細に話してはいないので、その点は良いと思いました。監禁する側が「好き」で、された側も絆されて「好き」になってハッピーエンドという安易な話ではない。萌えるかといえば、萌えない。でもとても面白く読みました。こういう話があるからBLは奥が深いです。
秀作品は結構読んでいるのですが、この人はエロが本当にエロくて、職人のような心意気を感じます。凌辱モノとしても十分楽しめました。『黒い愛情』『3シェイク』と読んできましたが、小説書きとして追い求めている理想の高さや誇りが感じられる人だと思います。常識を根本から覆そうという挑戦は尊敬にも値します。(ダメ作品もかなりあるようですが)

それでも監禁モノはこの先も好んで手に取らない気がします。趣味嗜好は面白いぐらい変化するものですねー。まあなんにしても面白かったです!一気読みでした!
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「子連れオオカミ」(井上佐藤)

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うーん、面白いなぁ。
続けて3回読んでしまった。
3回の内訳は「うーん(微妙?)、うーん(おおっ?)、うーん(面白い!)」
この面白さに一読して気が付かなかった自分を恥じたい気分です。前作の『エンドルフィン・マシーン
』の時も思ったのだけど、井上さんの漫画って「BLとして面白い」とは違う気がする。ただもう漫画として面白い上に、萌える。結局萌えているのかよって話になるんだけど・・・西田東の漫画を読んだ時とちょっと似ているかな。絵も別段好みじゃないし、BL?って感じなのに「この漫画面白い!」と興奮するといいますか。

「子連れオオカミ」はシングルパパさん同士が出会って惹かれあってという、一方が子持ちシングル設定のBLはよく見かける中で二人とも子持ちという意外性!1回目の感想が「大変そうだ~」に終始してしまったのは内緒です(笑)だって、孤立無援のパパさん子育てって想像するだけで眩暈がしますもん。しかも二人とも男の子!男の子って身体弱いしますます大変だ~。
二人の関係は恋愛であり、子供の存在を通して共闘する「同士」でもあり・・・疑似家族化をしてハッピーエンドとするBLとは一線を画す印象を受けました。それは、「子どもありき」の二人だからだと思うのね。二人ともお父さんでお母さんでなくてはいけない。その葛藤が面白かったです。「子連れ」であることをこんなにも全面に押し出したBL漫画はなかったのでは。うーん、井上佐藤畏るべし。

会社社長とキャバクラマネージャーの天然な恋を描いた「ララルー」も面白かったです。
腐女子の妹の「試しに付き合ってみれば?」の一言に乗せられて「試しにヤッてしまう」二人。いやいや、誰も「ヤレ」なんて言ってないから!と妹ならずも突っ込みたくなりますって。この妹さんがいい味出していて笑いました。キャバクラの女の子達にBL布教してるし!
この話の二人はリバなんだけど(女役をジャンケンで決めるような関係ですから)、二人とも女慣れしていて男前なのよね。『エンドルフィン・マシーン』の後書に「(編集の人に)BLでは普通こういう二人はくっつかない」と言われたとあったのを思い出しました。確かにそんな印象を受けます。見たことありそうでない二人だなーってどの漫画を読んでも思いますもん。ゲイコミに載りそうなエロもいいですし、今後も要チェックの作家さんです。

「愛と混乱のレストラン1・2」(高遠琉加)

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赤字続きで休業に追い込まれたフレンチレストラン「ル・ジャルダン・デ・レーヴ」復活のため本社外食事業本部から出向してきた鷺沼理人は、若手シェフ・久我修司の引き抜きを試みる。確かな腕を持ちながら暴力沙汰を起こし、今は実家に戻っているという久我は、理人の依頼を「あんたが気に入らない」と言下に拒否する。それでも通い続けてくる理人に久我が提示した条件は「言うことをなんでも聞く」というとんでもないものだった。しかし、ある理由から店の再興を失敗できない理人は、その崖っぷちの選択を呑むことに。“夢の庭”の実現は果たして―。

面白いし続きが気になるのだけど・・・お、思いの外痛かった。
1巻を読んで2巻を読むのにちょっと時間があいてしまったのはそのためでした。
レストラン再興のドタバタ仕事BLかと思っていたら、確かにその色も強いけれど、全編通してとにかく理人のトラウマが主軸でした。理人は幼い頃に高級レストランに父親に置き去りにされて捨てられたことから、レストラン産業に従事するのにレストランを憎んでいる。レストランだけではなく、「食」そのものを憎んでいる。美味しい物を食べても何にも感じずに、ただ過去のトラウマに復讐するためにレストラン業界に身を置いているんです。このトラウマが・・・個人的に本当に辛かった(別に私が同じ経験をしたわけではないのですが)

「食欲」へのコンプレックスがあると言って、一体どのぐらいの人が理解をしてくれるかしら。昔から私は普通の女の人よりも「美味しい物を食べたいという欲求」がどうも低いような気がしていて・・・。親しい友人達が軒並「食欲旺盛」だったせいもあると思うのですが、「食事の話をする時だけは隔たりを感じる」と言われてから結構気にするようになっていてという。まあ最近では食欲異常者のような旦那の影響もあり普通に「美味しいもの食べたい!」と思うようになったのですが。それでも「食が趣味」のような人には一歩引いてしまうので、小さいけどまだコンプレックスなのかもな。

もうね、理人の食への執着のなさや孤独が本当に切なくて。惹かれている久我の仕事も、大事にしている仲間達のレストランにかける誇りも、彼は全然理解が出来なくて、子供のように呆然と立ちすくむ理人の心は、幼い頃に置き去りにされたレストランにまだ囚われている。なんて自虐的な生き方を選んでしまう男なのか。力を入れられれば容易にポキッといきそうな弱い精神と肉体で必死に虚勢を張っている姿が痛々しくてたまりませんでした。シェフよ、早く癒してやってくれよ!美味いもの食べさせてやってくれよー!と思っていたらば2巻のラストで何てことを・・・。そんなことをしてしまって、本当に3巻で完結するんですか!?何をやっているんですか、シェフは!?理人を取り巻く環境も大嵐で待て次巻!ですよ。ああ、楽しみだけど怖いなー。久我の愛だけでは絶対にこのトラウマは克服出来ない(むしろして欲しくない)と思うのね。理人が自分で変わらないといけない。「生まれてよかったと思ったことなんて、一度もなかった―」なんて言ってしまう男がどうやって希望を見つけるのか。期待して待ちたいと思います。
高遠さんは初読みでしたが固い文章が好みです。キスシーンだけであんなに色っぽくて扇情的な書き方が出来るっていいなーと思いました。本格的なフレンチレストラン、ちょっと行ってみたくなります・・・。

人には言えない?

意味深なタイトルですみません。
ブログを始めてから気がついたのですが、あまりいらっしゃいませんよね?
いや、私も特別にそれが好物というわけではないので別に良いのですが、ちょっと気になってしまったので。

えーと、えーと、「ショタ」って今はあまり需要がないのかな?

あまり「好き」と公言している方を見かけないので、王道だと思っていたらいつの間にか獣道なのでしょうか?そもそも「親父好き」「眼鏡好き」「年下攻め好き」のようなものの地続きに「ショタ」があると思っていたら、とんだ勘違いだったのかしら。
確かに「好きです!良いと思います!」と諸手を挙げて賛成出来るジャンルではないと思いますが(モゴモゴ)、好きな漫画が1冊あるので感想あげてもよろしいでしょうか?

天下の松文館コミックなので、折りたたみます(笑)

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小野塚カホリ先生のこと

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『花』 『深夜少年』 『LOGOS』 『虜囚』 『我れに五月を』 『ラグランスリーブ』
小野塚先生のBL漫画のタイトルです。美しいタイトルだなーと思います。言葉(単語)の力をよく知っているというか。

引き続き実家からです。大分良くなったのですが、まだ微熱が続いているのでもう一息ですかね。本棚を眺めて思うに、実家に置いてきた本というのはBLに限らず「二軍落ち」なわけで、グッとくる作品があまりないです。あってもドエロだったりして(しかもショタ)、家族が居る側で漫画片手には書けないので止めました。

そんなわけで、小野塚カホリなんですよ。(どんなわけだ)
「小野塚カホリ」は残念ながら私にとってはもう過去の作家になってしまいました。
彼女がBL漫画を描いていた時期はとても短くて、98年から00年の2年間だけだったのです。その頃「ピアス」で描いていた作品をまとめた5冊の短編集が、私にとっては小野塚さんの全てです。その後団鬼六の『美少年』などをコミックにしていますが、そちらは未読です。男女のエロスを描くのに定評がある人で、今読んでも小野塚さんの一連の作品は「BL」でもなければ「JUNE」でもなく、「男の子同士の恋の話」という印象を受けます。BLの定義とかそんなもの無視した小野塚カホリ独特の世界観。人を恋するということは「狂気」スレスレの感情なのだということを、小野塚作品は繰り返し語っているように思います。あと、死のエロスについても。寺山修二や山頭火など、ちりばめられた文学的要素が昔の私にはツボだったのだと思います。(今も嫌いじゃないけどね)
それでも私がこの人の漫画を手元に置いていないのって、ある種のキツさがいっぱいだからなんですよ。闇雲に人を愛した少年の結末や、救いのない関係性の終わらせ方や、とにかく読んでいてしんどい話が多い。痛々しい。全体的にみれば優しい話の方が多いと思うけど、インパクトが違うのよ。だから最後のピアスコミック『虜囚』を読んだあとに、「もう読まない・・・」と思ったんだよ。そしたらその後小野塚さんはBL自体を描かなくなってしまったんだけど。魅力を語ることも出来るけど、この世界観に嵌まるか否かで全て決まってしまう作家さんだと思う。1冊読んで好きになったら、あっという間に全部読んでいると思う。そんな作家さんでした。なんと「ピアス」の創刊号を飾ったのですね。今のアホエロ系からは想像出来ない雑誌だったのかも。

1冊目の『僕は天使ぢゃないよ。』から短く紹介だけ
表題-身体を売って学費を稼ぐ少年が不良少年に恋をする話
万事快調-幼馴染同士の恋の話
嫌-アルバイト仲間に監禁されてセックスを強要される男の話
セルロイドパラダイス-死期が近づく男に誘拐された少年の話

えーと、ちっとも説得力がないというか説明不足なんですけど、どの話も好きです。単館系映画のような雰囲気と、そこかしこに散らばる文学臭さは今でも魅力だと思います。10年前の作品とは思えない。「僕は-」は犬のように扱われて「ポチ」とあだ名されながらも、一途に強かに恋い慕い続ける少年の話なのですが、後半不良少年とのパワーバランスが一気に崩れる状況がドラマチックで好きでした。支配していたつもりが支配され、という。私の好きな共依存関係です。
ああ、「恋したもの勝ち」「狂気勝ち」のような世界観と言ったら伝わりますかね?

今でも全作品入手可能というのは、それだけ評価が高いということでしょう。痛い話も多少は平気になったので、小野塚さんがまたBLを描く日が来たら是非とも読んでみたいです。

一般書感想、つづきのつづき

しつこいですか?すみません。

大寒というだけあって寒いですね!遅めのバーゲンに行ってきました。売れ残り中の売れ残りだよなぁとか思いつつもワンピースを買って満足です。普段は可愛らしい格好なんてしませんが、来週のプチ同窓会に備えて・・・服買う時はそんなんばっかです(笑)

私がいつも服を買いに行く街は本屋激戦区です。BLが豊富な本屋が多くあり、この街に出向いてBLを買わずに帰って来たことはない!ぐらいだったのですが、今日は買わなかったよ。珍しい。熱でもあるのか。

その代り持って出た津村記久子の『アレグリアとは仕事はできない』を喫茶店で読み終えました。
うーん、やっぱり面白いなぁ。気まぐれコピー機と、翻弄されるOLの怒りに満ちた攻防戦です。コメディではありません。超、真剣です。アレグリアとは主人公ミノベの勤める会社に新しく入荷した複合コピー機の商品名(長尺用のコピー機があるというのを初めて知りました)。機会を愛するミノベは最新機種のくせにフリーズを繰り返すアレグリアが我慢ならない。「人間なら殺している」ぐらいの憎悪を募らせていきます。たかがコピー機といっても、そのコピー機が使えなければ割を食うのはミノベや先輩のようにコピー機を使って仕事をしている人々に他ならないのですよ。それが「長尺」という特殊なコピーであればなおのこと。読んでいて、「そんなに気に入らないなら何故上司に掛け合わないのか」と思っていたのですが、上司が導入した機械、中途入社のOLにそんな発言権はないんだよね。私、奢っているなぁ。会社の男たちはコピー機能としてのアレグリアを求めていないので、ミノベの鬱屈を理解してくれるのは同じ仕事をしている先輩だけなのですが、事なかれ主義で大人な先輩は特に気にする様子もない。話は、ミノベのアレグリアへの怒りと、コピー機のコールセンター係の女、メンテナンス係の男を介して意外な方向に転がっていく。アレグリアが使えないのにはそれなりの理由があって、という。そして駄目アレグリアが迎える顛末。なんだろう、この異様にスッキリする読後感は。ミノベと先輩の関係といい、津村さんは今の時代に働く女の気持を本当によくわかっている気がする。津村さん自身もミノベと同じような仕事をしているらしいけど、それでも「コピー機」という無機物を相手にここまで面白い話を書くなんてすごいと思います。

なんかベタ褒めですね。久しぶりに好きな文芸作家ができたので嬉しいらしいです。
本来がエンタメ寄りではないので、純文系の女性作家は割とチェックしているのですが、津村さんは最近知ったので、まだまだですね。
BL好きな私が、一般書では「非恋愛小説」を好むというのは肯けるような・・・。ちょっと危ないな~と思っているのが「ハーレクイン系」なんですよね。あれ、好きだったらどうしよう。まだ読んだことはないのですが、三浦しをんが好きらしいですよ(笑)

ああ、なんか寒気が。本当に風邪でも引いたのかしら。

一般書感想、つづき

津村作品を読み漁る合間に図書館で『あなたの呼吸が止まるまで』(島本理生)を借りてきました。
正直、島本理生は全然好きではないのですが、『大きな熊が来る前におやすみ』で「暴力」がテーマのような話を書いたあたりから注目するようになりました。『ナラタージュ』なんてどこが良いのかサッパリでしたが、幸せそうな二人に潜む不穏な影については、とてもよく書けていたように思います。
しかし、『あなたの呼吸が止まるまで』は小説全体の出来としては首を傾げます。12歳の少女が主人公なのですが、この朔という少女の語る言葉が嘘っぽくて・・・。実際にあんな父親に育てられたら大人びた悪意を知らない純粋な子に育つのかもしれないよ?それでも、有り得ないと思ってしまうのよ。もっと言えば鼻につくのよ。少女というのはもっとドロドロしていて汚いものだと思うのよ。で、島本さんにとって少女ってあーゆー生き物なのか・・・と思うと同い年のこの作家と自分の相性はやっぱり合わないのだなーとしみじみ感じました。基本は恋愛小説の人ですものね。
では何でわざわざ感想を書いたかというと、小説を読んでいて久しぶりに激しい「怒り」を持ったからなんです。朔が遭遇する突然の暴力に対する怒り。仕事の休憩中に読んでいたのですが、佐倉(朔の父親の仕事仲間)の行動や言葉にずっと違和感を持っていたのが「やっぱり」という確信に変わったとき、手が震えるような怒りを感じました。簡単に言うと、佐倉は朔に性的暴行を加えようとするのです。でも決定的なことには至らなくて手でやらせるのですが、こんなに不快な描写は久々です。
佐倉の言い分も含めてとんでもない、キ~ッとなってしまったので(朔が好意を持って近づいてきたのが悪い的な、12歳の少女の媚を30歳の大人が真に受けて正当化するような言い分が!)吐き出すためにアップしました。ああ、こんな大人いそうだよね。ニュースで同様の事件を見聞きする度に、私は非常に怒りを感じるのですが(もちろん女性なら皆感じるとおもうけど)、佐倉のように自分がしたことがどんなに酷いことなのか自覚すらせずに生きている輩も多いのだろう。私は朔の配慮が足りなかったなんて思わないよ。12歳の娘を放り出して「舞踏活動」に励む父親も悪い。何よりも佐倉が悪い。

と、前半は「ハンッ」って感じで読んでいたのに後半一気に作品世界に引き込まれてしまったので、私の負けでございます(何がだ)
事前情報なしで読んで良かったな。
ただ、同級生二人とのやりとりがあまり上手く活かしきれていない部分があって、それが残念でした。
朔が佐倉に選んだ復讐の形は、うーん・・・と思うのですが小説の構造そのものに対する仕掛けと思うと面白いですね。私は、そんなことよりも父親に言おうぜと思いましたが無理か。この「無理だよな」って女の私が同調してしまうのが歯がゆい。「暴力」に対する怒りを!と思います。

島本さんは芥川賞をとらずにそのうち直木賞をとりそうだよね。ベッタベッタの恋愛よりも、腹に一物あるような小説を書いて欲しいです。

一般書感想

ここ数日ちょっとテンションが下がっています。
長らく抱えていた御悩み事(つまらないことなのですが)を、プツッと糸が切れてしまって人に相談してみたら・・・なんかますますブルーになったんですよ。云ってスッキリした部分はあるけど、漠とした悩みが現実になっちまったというか・・・。うーん、ままならないっすね。

ホモを読んでいないな~と思ったら、一般書を読んでいたのでした。
先日第140回芥川・直木賞が発表されました。「芥川賞好き」だと自分では思っていたのですが、正確には「絲山秋子」が好きで、絲山系の「津村記久子」も当然好きなのでした。ちょっと前に他ブログ様で津村記久子の『君は永遠にそいつらより若い』が紹介されており、「絶対に好きだ」と思って読んだらやっぱり好きでした。ちなみに受賞確実と言われていた津村作品を、発表の数日前に店在庫全買いしたことは、店長として反省すべき点だと思います(笑)だって受賞したら重版待ちの予約待ちだもの・・・。
前回候補の『カソウスキの行方』から簡単に。正義感から後輩のセクハラ被害を上司に訴えたOLのイリエは、土壇場で後輩の裏切りに合い郊外の倉庫管理部門の左遷されてしまう。あまりに退屈でやるせない日々を紛らわすために、イリエは同僚の森川を「仮に好き」と思ってみることにするが―
「仮想好き」なんですよ。でもちっとも森川を恋愛っぽく好きにならないイリエと、飄々として面白みのあるんだかないんだかわからない森川がいい味を出しています。28歳独身女性の寄る辺ない日々。不安だらけだが暗くはない日々。うん、すごく上手だと思います。自意識が透けて見えない淡々とした書き方も、ラストのメールにおけるイリエの「仮想好き」の結末も、森下のその返答も。きちんとオチている上に、「恋愛小説」としてもとても良い気分で読み終えました。等身大の女性、という言葉は使い古されていて好きではないけど、イリエの考えること、行動、話し言葉もろもろがとても本当っぽい。仕事はきちんとするけど男と肩を並べるわけではなく、収入は一人暮らしの女性が将来も安泰と思えるほどではなく。真面目に、いい加減に、仕事してますよーって感じ。すっごいわかる。
絲山秋子は「男女雇用機会均等法」の人で、津村記久子は「就職氷河期」の人。その少し後の私は断然津村作品に共感するわけですよ。絲山作品は小説の内容よりも言葉の美しさに感動したからもあるな。イリエには女の怖さや毒があまりなくて、それでも少しの悪意を持って普通に生きている。そんなのがとても好き。そして個人的に津村さんの容姿も好きです。『カソウスキの行方』は中短編集です。後の2作も良い。「Everyday I Write A Book」も好き。片想い(というのか、あれは)相手の奥方のブログに日参してしまう主人公の悪意と切なさ。相手の男性とは一度も会話したことがなく、えっ、いつ惚れたの?という可笑しみもあっていいです。後輩のナオミちゃんやオサダとの関係など、これは芥川?むしろ直木では・・・という部分も絲山系だ(良い意味です)。単行本の薄さと値段にかなり躊躇したのですが、面白かったです。

さて、2005年に太宰治賞を受賞したデビュー作です。
『君は永遠にそいつらより若い』(『マンイーター』を改題)
身長175センチ、22歳、処女。いや、「女の童貞」と呼んでほしい―就職が決まった大学四年生のだるい日常の底に潜む、うっすらとした、だが、すぐそこにある悪意。そしてかすかな希望…?第21回太宰治賞受賞作。
この小説は一体どこに着地するのだろう?という不思議な浮遊感がありました。内容を説明しようとしても難しいです。大学4年生のホリガイの卒業するまでの日常、なのですから。かといってモラトリアム小説では全然ないし、これは一体何だろう。ホリガイと関わる数人の男女らのだるい日常?否。ホリガイの脱童貞記?否。といった感じで「なに、なに、なんなの?」と訳も分からずグイグイ読まされるんですよ。ホリガイとホリガイが惚れる(?)イノギさんの人物造形が、というか文体から何もかもが独特の乾きがある気がします。
そして、浮かび上がるというか、唐突に出てくるのですね。主題めいたものが。タイトルの意味が。その唐突さが突飛ではなく浮いてもいないのが、作者の力量の凄さを物語っているのではないかと思います。だるい日常をいきなり切り裂いて入ってくるもの。それは「暴力」。
安穏とした大学生の日常生活のすぐそばに潜む「暴力」の記憶。
他人の受けた傷に対してホリガイが選択する道は、不思議な説得力と切実さで私の胸に迫りました。
うーん、上手く説明できる内容ではないのですよ。面白い、と言い切れるのかもわからない。
でも「津村記久子が好き」と言うには十分な話でした。
タイトル、断然『君は永遠にそいつらより若い』の方がいいですね。

新刊の『アレグリアとは仕事はできない』も楽しみです。

「のはらのはらの」(雁須磨子)

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日射病でへたり込んでいた西戸崎にフリル付日傘を貸してくれた人、それが腰を痛めて野球部を辞めた1学年上の糸島だった。その日から西戸崎は糸島のことが気になって気になって仕方がない。この気持ちは一体なに?

とても好きな漫画です。久しぶりに読み返してもやっぱり良いです。
雁須磨子は不思議な人だと思います。どんなジャンルを描いても独特の味があり、雁須磨子という人格が滲み出ているような。ふわふわしていて掴みどころがないけど、なんかいい。「なんかいい」としか言い表せない微妙さというか絶妙さがあります。
高校生ものでは昨年『同級生』が大人気でしたが、より等身大にちょっとカッコ悪く「恋すること」を描いている点で『のはらのはらの』も大変な名作だと思います(2003年の漫画です)。

西戸崎君と糸島先輩の恋愛が主であると同時に、野球を失った糸島先輩の葛藤が話の軸になっています。野球部のメンバーと自分の間に出来てしまった距離。怪我をしたことへの自責の念。高校2年生の夏であることへの絶望。それは、想像するだけでも辛く遣る瀬無い現実。雁さんは読者に糸島先輩の苦悩をまざまざと見せつけるのに対して、西戸崎君には何も語らせようとはしません。西戸崎君は「きっと―だろうな」と想像と憶測の範囲で先輩を理解しようと努め、どんなに恋をして好きになっても、その負ってしまった傷をどうこうしようとはしない(できない)。その微妙な距離感がとても素敵なんです。
西炯子の漫画にもいえるけど(私が勝手にそう考えるだけですが)、人と人の距離の取り方が、雁さんの漫画も心地よい。BLを読んでいるといった感じではなくて、普通の漫画を読んでいるみたい。その中でたまたま同性を好きになってしまった男の子の話を読んでいるみたい。たぶん私自身が、他人と一定の距離を保った付き合いを好む傾向にあるから、両先生の漫画が心地よいのだと思う。
傷は結局のところ自分自身で治すしかないんだよね。糸島先輩は野球を失くした傷を恋で紛らわしていたのかもしれない。でも、それでもいいんだよ。心を向けるものがあるというのは救いだもの。
野球部でもない、同級生でもない、そんな共通点も何もない片思いから始まって、毎日の挨拶や会話、休日の約束と地道に先輩との関係を築こうとする西戸崎君。高校生ってこんな感じだったよなーと思い出します。野球部ってのはやたらと仲間意識が強くて、いつも部員でつるんでいて。クラスや学年が違う人を好きになったら時間割を頭に入れて、移動教室で相手が廊下を歩く休み時間にわざと同じ廊下を反対から歩いてみたり(えっ?しない?)。かなり鈍い糸島先輩が「恋」を自覚するところがとっても素敵。じわじわと心に浸透してくる相手の気持ちに、ようやく見つけた自分の気持ち。一歩遅れて恥ずかしがる(怖がる)先輩が、西戸崎君が感じるように可愛くてたまりません。
「抱き合えるならどっちでもいいっす」と言う西戸崎君。可愛いのに男前な様にキュンキュンしました。
本当にオススメです。

この漫画の台詞をたまに思い出すことがあります。
帯にもなっているけど糸島先輩の言葉。
「わからんでいい。わかられたくない。・・・・ わかられたらたまらん」
腰を痛めて引退した糸島先輩が、3年生の追い出し会に参加しなかったときの言葉です。相方だったピッチャーの子から「皆わかっとる(参加しなかった先輩の気持ちが)」と言われた後の言葉です。
だから先輩は西戸崎君を好きになったんだとも思うのです。
わかられないことに救われるって、わかります。
状況は違いますけど、旦那のことを考えるとこの言葉を思い出します(あっ、良い意味ですよ)。
わかられない方がいいことってある。特にコンプレックスや負の感情に関してはそう。近しい人だからこそ、本当の意味で理解されたら辛いという。まあ、人それぞれなんでしょうけど。

雁須磨子の漫画はBLもいいけど、マニア系の方が好きだったりします。(『のはらのはらの』は別格)エログロっぽいノリがたまりません(笑)本当、不思議な人です。

「嵐のあと」(日高ショーコ)

仕事帰りに駅の改札を出たらいくつもの騒がしい集団が。
「あー、成人式ね」という視線を送る仕事帰りの大人たちに交じって、ついつい冷たい視線を送ってしまった私も年齢的には立派な大人です。それにしても「猿山」のようだった。
大人って何でしょうね?もうすぐ誕生日なので20代も後半なわけですが・・・全然大人じゃないよ?
脳内にはほぼホモの事しかないし・・・何より恐ろしいのは、結婚して家庭を持ったにも関わらずちっとも大人になった気がしないところだ(笑)一体いつ思い描いたような「大人」になるのだろう。
日高ショーコの『嵐のあと』は、大人の男だからこそ持つ臆病さやズルさがある、素敵なラブストーリーでした(ムリヤリ繋げてみました)。

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輸入インテリア会社社長の榊は、男同士のドライな恋愛関係に満足していた。だから、取引先の担当者・岡田の事も好みだと思うだけで、本気になるはずはないと油断していたのかもしれない。しかし、記憶をなくすほど飲んだ翌日目を覚ましたそこは、岡田の自宅で・・・!?岡田の無自覚な言動が榊の心をかき乱す・・・!

『美しいこと』の挿絵を見て日高先生の描く男性に惚れました。
男の人の持つきちんとした骨格。手の大きさ。広い背中。
日高先生の描く男性ってなんて素敵なんでしょう。
柔らかい眼差しも、苛立ちを隠し切れない眉間の皺も、すごく色気があると思うのです。
漫画もすべて読んでいたのですが、『美しいこと』の挿絵を見るまでは「地味だけどいい話を描く人だな」ぐらいの感想でした。それまでは「企画物」の短編が多かったので、どうしても話がテンプレのように感じてしまったんですよね。しかし、この『嵐のあと』はとても良かった。
とにかく日高先生の「スーツ」でカチッとした男性に恥ずかしながら心を奪われてしまいました。改めて、私スーツ好きなんですね。もちろん話も面白かったです。「このBLがすごい2008」の4位に選ばれていましたが、納得です。『シグナル』では脇役(あて馬?)だった榊が主人公なので、『シグナル』から読むと、ドライな榊の遭遇した「嵐」が際立ってまた面白いと思います。

日高作品の男たちは泣かない。
声高に愛を叫んだりもしない。
かといってクールなわけでもなく、「恋をしていることへの照れ」のような引きがある。
リアルを求めているわけではないけど、恋する姿勢がとてもリアルに感じられました。いい年した大人の男の戸惑いや、本当に好きだから二の足を踏みまくってしまう切なさや、それでも相手に向かってしまうベクトルの強さ。大人になって分別が付くと、理性的といえば聞こえはいいけど、臆病と紙一重になっていくものなんだよね。榊が臆病な大人の男なら、岡田も大人のちょっとズルイ男というのがとても良かった。ちなみに私は最後の最後まで、どちらが受け攻めか予測できませんでした。岡田が受けだったのですが、このカップルはリバもありだと思います。
榊が全体的にヘタレていたのに対して岡田が大変魅力的でした。ゲイとノンケの壁を自分の衝動に正直に崩してしまうやり方が、なんというか大人なんですよ。駆け引きなのか天然なのかわからない言動も、ニコッと微笑む営業スマイルも、岡田は榊を意識しての確信犯だと思います。岡田の流し目は榊じゃなくてもグラッときますって!久々に「絵に恋する」という感覚を思い出しました。可愛いとかではなくて、本当にカッコイイ。

穏やかな恋愛というのも確かにあると思うんですよ。でも、恋愛というのは基本的に「嵐」のようなもので、出会ってしまった他人の間合いに飛び込んで、かき乱されて、へろへろになっても立ち向かうのを止められないような衝動と感情の激しさは、まさに「嵐」だと思います。相手の一挙一動に一喜一憂して、寝ても覚めても一人のことを考えてしまうような。
本気なった榊は、きっと『シグナル』の彼のようにみっともなくなっていくのでしょう。
人を好きになったあと、変化した自分を受け入れるのも恋愛の醍醐味だよなーと思いました。
シンプルで基本的な恋の話です。おススメです。

下は『美しいこと』の表紙。上下巻合わせてひとつの絵になります。美しい。
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「秘書とシュレディンガーの猫」

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シュレディンガーを正しく指摘したひとりに全財産を相続させる―亡き祖父の遺言を聞くため古い屋敷を訪ねた舘を待っていたのは、風変わりな猫探しの遺言と初めて会う従兄弟、それに祖父の美しい個人秘書、雨宮だった。金と権力を信じる舘は、遺言の内容にうんざりしながらも屋敷に滞在することを決める。一方、雨宮は初めて会ったときから、舘のことが嫌いだった。それなのに、舘の挑発に乗ってしまい…!?甘くてほろ苦い大人の恋。

そもそも人を信じるって何?と思うわけですよ。
信じる 信じない その二択で物事を考える意味がわからん。
好きか嫌いかで考えた方が世の中ずっとシンプルで良いと思います。

楽しんで読みましたが、内容や萌えよりも上の点で引っ掛かりを感じてしまいました。
それと・・・人類の半数を敵にまわしそうで怖いのですが、私、猫が好きじゃないんです。舘と同じで「怖い」ぐらいは普通に思っています。だから、本物の猫への愛が溢れていた話でもありましたが、ちょっと入っていけませんでした。あっ、面白いことは面白いです!それは本当に。やっぱり榎田さん上手だなーと思いますもん。ただ、前の2作があまりに良かったので過剰に期待してしまったのかも。あとは、ほら、猫だし(重要)

改めて気が付いたのですが、このシリーズって結構な「倒錯物」ですよね。人をペットとして派遣するんだもの。デリヘルの変化形高級バージョンなわけで。買う方も派遣される方も、どこか歪んでいる。どこかしら壊れた人間に魅力を感じるので、その点からいくと「猫」は「犬」や「獅子」に比べると人物の歪み具合が物足りなかったように思います。設定だけでいけば雨宮の方が「獅子」の千昭、「犬」の倖生よりも不幸だと思うのですが、榎田さんの魅力である説得力に欠けたかなーと。ギャップ萌には驚きましたけどね!シュレディンガーの正体は謎ときでも何でもないので、清廉潔白な秘書様の夜の顔は予想外でした。「お金が好き」という舘は途中から気のいい兄ちゃんにしか見えなくなり、ラブが全開したあとは甘いお茶菓子のような仕上がりでした(笑)

信頼する必要がない相手として猫を傍らに置き続けた老人を思うと、切ないような、複雑な気持ちになります。信頼は100から0だけど、好きは100からいきなり0にはならないと思うんですよ。大きな好きの中に小さな嫌いがあって全体を形成しているイメージです。だから、雨宮にも「信じている」ではなくて「愛している」と云えればいいじゃないか、と思いましたとさ。

榎田さん、次は何を読もうかなー。

「獅子は獲物に手懐けられる」

久しぶりにポンポンBL本感想が続いていますね。
年末年始に大量に読んだ分を、やっとこ咀嚼できそうです(笑)

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先に読んだ「PET LOVERS」第二弾!シリーズですが前作はまったく関係ありません。

「他の男を気にしてる場合か?俺だけ見て…俺だけ感じていろ」呼吸器内科の医師である鶉井千昭は、ある夜、自宅で突然見知らぬ男に襲われた。それが会員制デートクラブ『Pet Lovers』のライオン、蔵王寺真との出会いだった。足首に見えない鎖を繋がれている千昭と、金で愛を売る不遜なライオン、真。千昭の義兄の企みの下、不本意な出会いを果たしたふたりだが、いつしか強く惹かれあうようになる。しかし、ある過去が千昭を苦しめ…究極のビースト・ラブ。

好きです。が、この話は「好き」と云うことをちょっと躊躇してしまいます(云うけど)。
いくら「可愛い受けが可哀相な目にあって、攻めに助けられる話」に萌を感じるとはいっても・・・この話の暴力描写と義兄(深見)の悪人っぷりは酷い。愛でもなければ憎しみでも最早ない、只のストレスの捌け口としての虐待。榎田さんの暴力描写は読んでいて本当に痛い。それを千昭が甘んじて受けなければならない理由までが、嘘。千昭がこんな男にヤられなくて本当によかった。あまりに深見が気持ち悪いので、シンのカッコ良さが霞んでしまうじゃないか!それにしても千昭の受難具合が半端ではなく、あそこまでされてやっと噛み付くことが出来たというのも酷い話。だって10年も只の奴隷だったわけだから。おまけに母親が・・・。でもまあ、お姫様が無体な目に遭えばあうだけ読んでいる側は「早く助けてあげて!」となるわけで、作者の思うつぼですね。
お話的には前作程の感動は覚えなかったのですが、とにかく榎田風「シンデレラ設定」に悶えました。無垢(本当の意味で)な千昭と百戦錬磨のシンの金銭による身体の関係、何もかも諦めたような千昭の瞳の奥に宿る獣の火、百獣の王の異名を取るシンの神々しいまでの強さ。そういった関係性が悉くツボでした。志水先生の絵がまた美しくて!ふてぶてしいシンの魅力が全開です。
さすがだなーと思ったのはやはり「動物の喩え方」でしょうか。最初は「ガゼル」に喩えられていた千昭の本質が実はシンに負けず劣らぬ「ライオン」だったということ。シンの支えがあったとしても、最終的に深見との直接対決を乗り越えたのは千昭であることが嬉しかったです。攻めに助けられるだけの受けなんて、面白くないですからね。

改めて、このシリーズ好きです。
最新刊の『秘書とシュレディンガーの猫』も楽しみだわ。

「犬ほど素敵な商売はない」(榎田尤利)

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これは面白い。
先日「PET LOVERSシリーズ」の第二弾『獅子は獲物に手懐けられる』を先に読み、これはいいぞと。で、早速第一段の『犬』を読んだら、もうすっごく面白くて興奮しました。

榎田さんて本当に本当に上手。何が。小説が。
その一言しか賛辞の言葉が思い浮かびません。
例えば奇抜な設定や独創的な発想を持つ作家なら他に何人か思い浮かびます。でも、人の感情の機微を、外的・内的要因併せて子細に説明し、または描写し、読者にその小説で起きている現実を伝える力がこれほどある作家って本当に稀だと思うのです。リアリティ、とはまた違うのだけど、人物Aにある出来事が起きてそれがAの心理にどう作用するか―小説を書く上で一番基本的で、一番難しいことだと思うのですが・・・それを榎田尤利という作家はとんでもない力量でいとも簡単にやってしまう。本当にすごい。
と、実は私はまだ榎田作品をそんなに多く読んでいないんです!「魚住くん」「眠る探偵」「交渉人」「執事の特権」・・・ぐらいでしょうか?今年はとりあえず榎田作品の主要なものを押さえていこうかなーと決意を新たにさせられる読書体験でした。

悪い子だ。発情してしまったのか?自覚のあるろくでなし・三浦倖生は、うだるように暑い夏のある日、会員制のデートクラブ『Pet Lovers』から『犬』として、寡黙で美しい男・轡田の屋敷に派遣される。そこで倖生を待っていたのは厳格な主人・轡田の厳しい躾の日々だった。人でありながら犬扱いされることへの屈辱と羞恥。そして、身体の奥底に感じる正体不明の熱…。次第に深みにはまっていくふたりだったが!?究極のコンプレックス・ラブ。

「調教物」ってBLでは割と見かける世界だと思います。M調教の派生として犬調教も。ただ、私の知っている調教物はエロの仕込みがメインで、身体に付随して心も堕ちる・・・というパターンが多かったように思います。そういった話も好きですが、エロを欲しているとき以外には読む気になれないのもまた事実だったわけで。ところがこの話は違うんですよ。エロい仕込みなんて一切ない。倖生が轡田によって施されるのは、純然たる「犬になる為の調教」。これは、読んでいて本当に圧倒されます。轡田が倖生に発する言葉は「Come」「Sit」などの犬を躾けるために使う用語のみ。四つん這いになって犬のような所作を躾けられるその様子は淫美で大変エロティックであると同時に、本当に犬を躾けしているかのような誠実さです。そして最初は抵抗感があったものの、「犬」として愛されるうちに倖生の内側に正体不明の熱が生じてくるのです。その描写がなんというか・・・正直泣きそうになりました。倖生がろくでなしになったのにはそれなりの理由があって、「いつ死んでも構わない」と思っていた無気力な倖生がずっと求めていたもの・・・それは「愛」だったんですよ。こんな風に書くと陳腐な話に聞こえるかもしれませんが、愛を知らない倖生の内側をこれでもかと見せられて、愛されることを知らない人間が、仮初の姿(犬)でも浴びるように愛されることを知ると「なるほど、こうなるのか」と納得させられてしまうんです。信憑性があるんです!これは凄いよ!
浴びるように愛される幸福―共依存が不幸な関係だなんて誰が決めるというのか。幸福の形も人それぞれなのだ。轡田が「犬」として倖生を愛することにも理由があり、「究極のコンプレックス・ラブ」の意味がわかりました。確かに轡田は異常だし、変態だとも思うけど、それを幸いと感じる倖生がいるのならばそれでいいじゃないか。恋人としての二人の行く末が幸福でいっぱいであるように願ってしまいました。ラストのバカップルぶりだもの、心配いらないわね。ああ、好きだー。

それにしても・・・お仕置きで雨の中庭に出されても、自ら鎖を解くことなく轡田の許しを待つ倖生。熱を出して寝込んでいてもなお、床のラグマットに移動しようとする倖生。轡田が他の犬を呼んだことを知って嫉妬に狂う倖生。轡田の持つ鞭に打たれれば「許されるだろうか?」と期待する倖生。轡田に捨てられたと思い自宅で床を舐める倖生。ああ、こんなに、こんなに可愛い犬がいるだろうか!って感じです。
倖生が犬でありたいと願えば願うだけ、私は大変萌えました。(私まで変態っぽいですか?)

倖生は「ボルゾイ」という犬種で登録されていたので、犬に詳しくない私は早速店で『犬図鑑』を見てみました。ああ、なんとなくわかるなー。大型で美人なのにちょっと脳みそが足りなそうな感じ?(失礼)志水ゆき先生の挿絵も美しかったですし、大変満足な一冊でした!

「君によりにし」(木下けい子)

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父の葬儀の夜、大学生の大和は印象的な男と出会う。彼は名乗ることなく、気になる言葉を残していった。「息子さんですか、よく似ていらっしゃいますね」と。数日後、大和は思いがけず彼と再会を果たすのだが・・・。月明かりの下、ひそやかに恋が始まる―

喪服の女は美しいといいますが(事実その通りだと思います)、喪服の男も美しいですよね。
正月早々不謹慎な話で申し訳ない感じですけど、木下けい子の『君によりにし』を読んでそう思いました。木下先生の繊細で淡い描写はときに物足りなくもあるのですが、気分的にハマるときはすごく好きです。多くを語ることなくその場の雰囲気で話を運ぶ方法は木下先生ならでは。
文学部に籍を置いていた身としては、「文学部の教授と助手」というアイテムはどうにも頂けない部分があるのですが(笑)、葬儀で出会う―というプロローグにやられました。声が似ているから身代わりで、という展開はありがちだけど、実際そんなものなのかもしれないという不思議なリアリティがあるんですよね。視線と視線が絡み合って、緊張した呼吸の一音まで聞こえてきそうな静謐な画。日本家屋と畳の部屋にもエロスを感じます。葬儀って、喪失の穴を埋めようという力が働いて、そこはかとなく「生」や「性」の匂いもするように思うのです。そういう独特な空気が出ていて、木下作品に中では一番好きですね。気持がいつ傾いたのかも明確にしない曖昧さがいい。
「雰囲気物」というとあまり良い意味に聞こえませんが、木下先生のこの漫画はとても素敵で、過剰な装飾が一切ない作りは貴重だと思います。だから最後の慌ただしい展開が少し心残りかなーと。
同時収録の再会物も楽しめました。個人的には再会物よりも、ひたすら隣にいる人を想って10年という執着じみた片思いの話の方が好きですが。再会物って、なんとなく「いいとこ取り」な感じがしてしまうのですよ。大きくなって分別が付けば付くほど噛み合わなくなることもあるはず、とかね。まあそんなん言ったらBLも恋も始まりませんが(笑)
木下作品はコミカルなものよりも、とことんセンシティブなものの方が私には合うようです。いつも思いますが、木下先生の淡い色彩の表紙は本当美しいですね。椿の紅が綺麗。おススメです。

「おれの墓で踊れ」(エイダン・チェンバーズ)

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
サービス業も元旦ぐらいは休みにして欲しいですよ、まったく。
年をまたいで読んでいた般書の感想です。
初っ端なのにBLでもなく、グダグダな感想でアレですが・・・。


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16歳の少年ハルが、「死んだ友人の墓を損壊した」という罪で逮捕された。だが「なぜそんなことを」という問いに、ハルは答えようとしない。深夜、18歳で死んだ友人バリーの墓で、ハルは何をしようとしていたのか。バリーはなぜ死んだのか…。ハルが唯一信頼する教師オズボーンの勧めで書き始めた手記から、次第に、ハルとバリーの絆と破局、二人が交わした誓いが明らかになる…。法廷に任命されハルを見守るソシアルワーカーのレポートや、事件を伝える新聞記事等を織りまぜながら、最も残酷な形で恋を失った少年の混乱と再生を描く、心に響く青春小説。1980年代にヨーロッパ中の若者の心を捉え、今なお読み継がれている一冊。

〈サウスエンドみやげ〉をくれた―

10年以上前に読んで頭の隅にずっとあった一文。サウスエンドみやげの意味するものに惑わされて、当時の私はこの本をきちんと読むことが出来ていなかったと思う。あまりにも衝撃的で。たぶんあの頃の私は、耽美や同性愛の匂いを嗅ぎ取ることしかまだ許容範囲になくて、それが現実だという実感が乏しかった。男と男が愛し合って身体を繋ぐことが実際にあること。現実として把握出来たのはもう少し先だったのではないか。おそらく私はこの本を、『風と木の詩』よりも前に読んでいる。
この本が世界各国の少年少女に読まれているというのは結構凄いことだと思う。推薦、出来るだろうか?難しくないか?図書館のYAコーナーにひっそりと置かれていた本だが、奥付を見ると当時の新刊だったことがわかった。一人の少年の、恋愛と喪失、死と再生の物語。
説明するとあまりに簡単な物語なのだ。
主人公のハルは「乳兄弟」と呼べるような深い絆で結びつける友人を求めていた。実際ハルの求め方は友情以上の関係を望むものなのだが、ハルは自分の嗜好について作中で思い悩むことはあまりない。そして魅力的で発展家なバリーにナンパされて恋に落ちるのだが、バリーはハルの気持ちの重さに辟易して浮気をしてしまう。そしてケンカをして飛び出したハルを追いかけたバリーは事故に合って命を落とすのだ。話はバリーが死んで、その墓を荒らした罪で捕まったハルが二人のことを語る所から始まる。
正直私はこの小説がハルの性癖について明確に言及しないで比喩的、暗喩的な表現ばかりを使うのが不思議なのだが、これは「汲み取れ」ということなのだろうか。それとも「思春期特有の憧れからくる過ち」という意味も含ませているのだろうか。海外小説が苦手なのは著者の意向がわかりにくいからもある。あと、その国特有の文化や空気がわからないからわからないのではないか、というもどかしさがある点も苦手だ。サウスエンドが意味するものを、当時の私はもしかしたら歪曲して捉えていたのではと思って読み進めたのだが、そんなことはなく。サウスエンドみやげは男性器のことと考えて間違いないと思う。(なぜサウスエンドなのかは調べたけどわからなかった)
この物語の何よりも衝撃的なのは、恋愛関係にあったのがハイティーンの少年同士で、性交渉が普通に行われていてという部分だと思うのだけど、今回読んでみるともっときちんと読むべき個所がある話だったのだなーと気が付きました(当たり前)。
死んだらおしまいになってしまうのがバリーも怖かったのかな。それともバリーは死そのものに意味を付けるような「墓」というしきたりを冒瀆したかったのかな。それとも本当に意味はなかったのかな。「墓の上で踊る」という約束の意味するところを読者が考えるだけで、YA小説の意義は十分あるのかもしれない。
愛する人を突然失った悲しみや混乱に、読むのも息苦しくなるほどだったのだが、ラストで「ええっ!?」という展開があり・・・海外のティーンは進んでいるなぁなんて感想を持ってしまった自分が嫌だ(笑)ハルの最後の行動の意味と、その傷が本当に癒えたのかなんて今の私にもわからないけど、当時の私はたぶん理解不能で怒りを感じたのではないかな。
恋人のすべてを欲したくなるのは罪でもなんでもないし、奪うだけのような恋し方しか出来ないのが若さなのでは、とも思う。愛する人の死から立ち直るために綴られた文章には意味があったということ。新しい恋が傷を癒すのもまた真実だということ。
改めて読んで面白いなと思ったのが、ハル少年と両親の断絶っぷり。ハル少年は両親との意思の疎通を端から諦めているきらいがあって、学校の教授であるオジーや、バリーの浮気相手の少女の方が余程ハルを理解している。青春小説でこんなに親が不在な話も珍しいのではないかしら。

面白かったけど、高校生ぐらいから読むことをおススメしますね。
私のように関係ないところが気になって仕方がなくならないように(笑)

プロフィール

yori

Author:yori
気がつけばいつもそばにBL.猫かぶってみても、結局たどりつくのはそこなのです。感想は基本的にすべてネタバレ注意です。拍手&コメントありがとうございます。拍手コメントは該当記事のコメ欄にてお返事いたします。リンクフリーですがご一報頂けると嬉しいです。

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