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感想サイトの管理人さんに50の質問

お題は「ちるちるみちる」さんより拝借しました。
*リンクに不備がありました、スミマセン。

ニッポンの書評 (光文社新書)ニッポンの書評 (光文社新書)
(2011/04/15)
豊崎 由美

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豊崎由美の『ニッポンの書評』を読んでいます。
書評のあり方をつらつら考えつつ、やはり私のブログは「感想」であって「書評(レビュー)」という言葉にはそぐわないなぁと考えていました。もちろん最初から感想のつもりで書いているのだけど、「評」的なものをまったく意識していないかというとそれもまた違うので、自分にとって感想を書くという行為は一体何なのだろうとぐるぐるしているところに面白そうなバトンを見つけたので答えてみました。

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「少年魔法士 最終章―THE NEOPLAZM」Wings6月号

Wings (ウィングス) 2011年 06月号 [雑誌]Wings (ウィングス) 2011年 06月号 [雑誌]
(2011/04/28)
那州 雪絵、草間 さかえ 他

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連載4回目。
私的な感想メモです。

以下、ネタバレ要注意。

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ケンタウロスのすすめ

equus (Feelコミックス オンブルー)equus (Feelコミックス オンブルー)
(2011/04/25)
えすとえむ

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ケンタウロスが言葉にならないぐらい美しい。架空の生き物とされるケンタウロスが、人間と自然に共生している世界を特別な説明もなくストンと理解させる空白も素晴らしい。友人として、親代わりとして、部下として、彼らは人間と関係を持っている。ファンタジーと現実が混ざり合って見事な世界を作り出している。一読して凄いなぁと唸った後に何度も何度も読み返してしまった。そしてえすとえむさんの想像力の豊かさに感心してしまった。だって、だって、ケンタウロスだよ…それがこんなに美しいなんて!本当に凄い!

人間とケンタウロスは違う。しかしケンタウロスの価値観も考え方も誰かを愛そうとする心も、人間とそう変りなくここでは描かれる。異なるとすれば彼らに流れる悠久ともいえる時間の長さだ。関わった人間が老いていつの日かこの世からいなくなっても、彼らは人間が途方に暮れるような長い時間を生きることになる。だから人間は彼らに対して畏敬の念を忘れることはないし、互いに流れる時間の残酷さを忘れることもない。異種恋愛譚(今作はニア寄りで恋愛要素は控えめだが)の切なさと底にある諦観が愛おしいのだ。

様々な時代、国、関係が描かれる8つの短編が収録されている。
冒頭の大学生活を送るケンタウロスのように50年ほどしか生きていない若いケンタウロスの話もあれば、何人もの揺り籠から墓場までを見届けるような長い年月を生きているケンタウロスの話もある。人と関わるのは悲しいことだからとケンタウロスだけのコミュニティを出ないものも中には居るらしい。彼らの「思い出」のほんの僅かな一頁に刻まれたいと願う人間の健気さ儚さもよい。戦争に赴くケンタウロスが描かれる話が二編あるが、彼らの中には人間に従属して生きているものもいるようだ。忠誠心と神懸かった強さで、彼らは主人を勝利に導いてきたのだろう。人よりも遥かに長い年月を生きる彼らが少ない個体数で長い年月を生きるとき、ふと、生きる目的のようなものが欲しくなるのだろう。短くも劇的な生涯を遂げる人間に添う事で、その生の意味を噛み締めることもあるのだろう。超越した存在であるはずのケンタウロス達の瞳に宿る哀しみのようなものがとても良いのだ。

一番印象に残ったのは奴隷として生きるケンタウロスの話だ。悪趣味な主人の余興に使われながらも、鍵の開いたドアから出て行くことはなかった彼を、鍵を開けた本人である息子は主人の死後に詰るのだ。余興の場に居ながら触ることも助けることも叶わなかった男の精一杯の気持ちを無下にしたケンタウロス。だが男はとっくにその美しい奴隷に心を奪われていたのだ。どの話のケンタウロスも美しいのだが、性的に消費されるこのケンタウロスの美しさといったらない。ムチを打たれギャグを噛まされ涙を浮かべる様はとんでもなく扇情的だ。新しくケンタウロスの主人になった男は彼のことを知りたいと願う。人間と愛し合った過去を持つケンタウロスは自分の「死」を待っていた。哀しみに心が耐えられなかった時に死ぬという彼らだが、愛した男がその罪により打ち首になった後も彼は死ぬことはなかったのだ。だから男に殺して欲しいと願っていた。男はそんな願いを叶えられるわけもなく、ケンタウロスに服を着せ本を読ませて「生きる意味」を必死で与えようとする。ケンタウロスは主人の望みにきっと答えたのだろう。身に付けた服と教養を装備に再び以前は余興の場であった会場に立つ。しかし、そこで主人である男が気づいてしまったのはその「無意味さ」だったのだ。愚かな人間達の前で、彼のケンタウロスを生かすことは出来ないのだと。そして男は幼いころに一度だけ見た「野性」のケンタウロスの話をする。自由に駆けるその姿こそ、男が望んだケンタウロスの姿だったのだ。そして自分ではお前の願い(殺すこと)は叶えてやれそうにないからと、彼を開放するのだ。
彼らの再会はしばらく後にやってくる。ケンタウロスはまだ生きていて、彼を殺してくれるような人間には出会わなかったのだ。男が最後にケンタウロスに与えたもの、それは「死」などではなく、「生きる意味」だった。


***

はたらけ、ケンタウロス! (ゼロコミックス)はたらけ、ケンタウロス! (ゼロコミックス)
(2011/04/09)
えすとえむ

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こちらは少し前に出た同じくケンタウロスが主役のコメディ漫画。
実は店頭で見かけたときは「ケンタウロス!?なんじゃそりゃ…」と気になりつつも手に取ることはなかったのだ。それが『equus』を読んですっかり魅了されてしまい慌てて購入した。そうしたらもう!こちらも素晴らしかった。新社会人として頑張るケンタウロスの健太郎君と先輩の微笑ましい関係など、どうしてこれがニア未満なのかともだもだしてしまう(笑)うわーん、この二人のラブが読みたいです!!端々にある小ネタなど吹き出してしまう場面も多々あった。えすとさんが本当にケンタウロスを愛しているのがよく伝わってくる幸せな一冊だ。

二冊あわせてとってもおススメ!!
良い本を読みました。ケンタウロス、まだまだ読みたいな♪





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「恋愛軌道」日野ガラス

恋愛軌道 (ドラコミックス 275)恋愛軌道 (ドラコミックス 275)
(2011/04/25)
日野 ガラス

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楽しみにしていた日野さんの新刊。

「恋愛軌道」
同じ大学に通う富浦と白佐木は偶然お互いがゲイであることを知ってしまう。親近感から急速に惹かれあう二人だが、穏やかな関係を壊したくはないと「友人」であることを選ぶ―。
互いが抱いている感情の緩やかな変化、向かう行程を「軌道」と表現した表題作。傍目から見たらどころか自分たちも両思いだという確信を持ちながらも、一歩を敢えて踏み出さないぐるぐるした様子が描かれる。恋人同士が出来あがる手前の状態というのは恋愛事の中でも最も楽しい瞬間なのではないだろうか。しかし彼らはそんな状況を友人関係を選択したが故に2年間も続けてしまうのだ。白佐木が恋愛によって得られる諸々よりも友人関係を優先したのは、おそらく彼が「終わる」関係ばかりに心を砕いてきたからなのだろう。もしくは始まる前から身体を求められるような関係に辟易していたからだ。臆病な白佐木に比べれば色々と長けた風ではある富浦だが、「軌道」が反れるのを恐れて白佐木の提案をのむ。転機は大学卒業が見えた頃にようやく訪れる。友人関係は確かに穏やかだが強固な約束は生じない。物理的な距離がなくなった時に関係を維持させるのはもちろん可能だが、その密度は今までとは比べようもなく低くなってしまうものだ。違和感を覚えながらも甘んじていた友人関係のデメリットに気が付いた時、二人同時に互いへと本気で向き合う覚悟が出来るのだ。それを作中で「再び軌道の上を星が滑る」と表現している。なんともロマンチックで読んでいて照れるような恥ずかしさもあるのだが、私は日野さんのこういった言葉の使い方がすごく好きなのだ。
後書で「エロを描こうと思った」とあるように後編ではほぼ行為に頁が費やされる。扇情的でありながらもすごく丁寧な描写に、この場面が友人から恋人へと歩を進めた二人へのギフトとして必要不可欠だということがよくわかるのだ。「変わったこと」のメリットをこれでもかと描くのにやっぱり一番説得力があるし、前半の迷いを見事に昇華させている。恋と友情の間で悩むというのはよくある話ではあるのだが、やはりお上手だなぁと思うのです。好きです。

「コトノハ」
ゲイとノンケのぐるぐるしたお話。
「彼方の恋」(『青年は愛を乞う』収録)のカナタが脇で出てきてニヤリとしたり。
葛藤部分はそんなに強くはなく、ストーリー的には若干消化不良の部分があった。攻めの気持ちがどこにあったのか、過ちの晩に彼が発した一言はいつからの本心なのか(本心ではないのか)、そして前編ラストのモノローグは一体どちらのものなのか等々。まぁ、「可愛い」と思ってしまった本能に正直に従った男の勝ちということかな。「責任取るよ」という言葉の少女漫画的なこと!でもそういうのに案外絆されたりするものなのですよね…。

「レッドライン」
兄弟モノ。弟が兄の恋人にくらわす精一杯の牽制が可愛い。徒労だと、意味がないと、負け戦だと、すべてわかっている弟が可愛い。血の持つ効力の弱みと強みをわかった風な思考回路の反抗期で思春期の弟が可愛い。対する徹底して鈍そうな兄とその恋人もよいね。彼らは弟の執着も愛憎もモノともせずに幸せな関係を築くといいよ。
弟が兄に向ける愛情が家族愛の域を出ていなくてもよいし、出ていてもよい。性的な欲望を持っていてもいなくても、一線を越えても越えなくてもよいのだ。どんな事が起きても兄は弟に対して責任を感じるだろうし、弟は兄に甘えてしまって、結局のところ兄に勝つことは出来ない。そんな兄弟モノが理想だな。


キラキラしたセンシティブな言葉に女の子のように綺麗な男の子達のぐるぐる。
残念ながら前作を超えるような好きではないのだけど、面白かったです♪




「新装版 バス停留所」鳥人ヒロミ

新装版 バス停留所 (花音コミックス)新装版 バス停留所 (花音コミックス)
(2011/03/29)
鳥人ヒロミ

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陸上短距離選手の我孫子武は、バス停で出会った先輩藤本崇幸に一目惚れした。きれいな顔に似合わず口の悪い藤本は、故障のため選手生命を絶たれていた。まっすぐな気持ちを伝える我孫子に対し、プライドが邪魔して素直になれない藤本。そんな状況を抜け出そうと、我孫子は「男」を賭けたある勝負を迫ったが!?残酷なほど美しい青春と挫折―BL界の金字塔が短編再編集&描き下ろし収録で鮮やかに復活。

鳥人さんの懐かしい作品の新装版。
何作か読んでいる作家さんなのだが実はあまり得意ではない。今回は絶賛の声に背中を押されて手に取ってみた。旧版を読んだ記憶が曖昧な上に覚えている場面も飛び飛びで、ちゃんと読了したのかも定かではないのだが、一つだけ覚えていることがあった。それは先輩の「傷」だ。弱みであるその「傷」の生々しさとエロチックさはしっかりと脳裏に焼き付いていた。鳥人さんは他の作品でも傷を持つ登場人物が出てきたように記憶しているのだが、気のせいだろうか(その後すぐに『バスタオル/なんか言えよ』収録の「if~もしも~」だと判明)そんなこんなで鳥人さんイコール傷フェチの人というイメージで固まっている。

良い高校生ものだった。
思いやりは目に見えにくく好きだという気持ちも上手に伝わらなくて、各々が抱える物だけで手いっぱいになりながらもそれでも相手と関わろうとする姿に胸が詰まった。等身大というのだろうか、彼らの未熟さがたまらないのだ。

走れなくなった先輩の傷を抉るようなことばかりする我孫子の無神経さに読み始めは苛々さえしたのだが、彼らの価値観の違いを考えればそれも当然のことなのだ。走りたくても走れない先輩と、走りたくなくても走れてしまう我孫子。同じ部活に身を置く高校生が持つ遠すぎる価値観の違いにハッとなる。
我孫子は先輩が失ったものの大きさを本当には理解できていない。
先輩は我孫子が抱える葛藤を知る由もないのだからわからない。
それぞれの事情があって、相手を好きだという気持ちと並んで青臭い性欲があって、そういったものに翻弄されてすれ違ってしまう様がとても良かった。亀裂が決定的になってしまう納屋での喧嘩と暴行の際の台詞は鬼気迫っていて息苦しく、いったん本を閉じたほどだ。「女じゃない」と先輩が言い続けたことの意味もやっぱり我孫子には通じていなくて、「負けてあげる」ことを知らない年下の厄介な性質にくらくらした。

最後まで彼らの陸上に対する価値観が重ならなかったところも、我孫子の競技人生の結末もほろ苦くて好きである。しかし、先輩と同じ「傷」を持つことでしか開放されなかった我孫子の才能を考えると、無意識下でも彼はそうなることを望んで走っていたのかもしれないなと思ったりもした。それはわからないが、先輩が自分から持ちかけた「約束」など反故にして意地もプライドも投げ捨てて告白するくだりは素晴らしかった。納屋の場面でもそうだが、みっともなくて恥ずかしい台詞を肝心の場面で迷うことなく使えるのは、鳥人さんの魅力なのかもしれない。

鳥人さんの漫画は受けが性的に開放されている話が多い。BLによくある(そして私が愛する)「一棒一穴主義」の否定だ。先輩が我孫子に暴行を受けるくだりも、その傷を武器に「約束」を仕掛ける強さも、大学生になってからの生活も、性行為の享楽的な部分と本質(暴力性のようなものとでもいうか)から目をそらさずに描こうとしているように感じた。そういった設定が苦手であることに変わりはないのだが、昔はよくわからなかった面白さがわかるようになった気がします。
他の作品も読んでみようと「JUNET文庫」を買ったのだが、「ピアス」本誌を買っていた頃(10年ぐらい前。西炯子が表紙だった時代)に掲載されていた作品がちょうど収録されていて嬉しくなってしまった!それが最初に書いた「if~もしも~」と「なんか言えよ」だ。この作品を「ピアス」で読んだとは思っていなかったので驚いた。今の雑誌カラーよりもかなりマトモ(褒めてます?)な時代だったのだなぁ。懐かしい。




「真夜中クロニクル」凪良ゆう

mayonaka.jpg真夜中クロニクル (リリ文庫)

太陽の下に出られない病気を持つニーナは、気難しくて偏屈だ。そんなニーナが、夜の公園で7つも年下の陽光と出会う。どんなに邪険にしても無邪気に寄ってくる陽光を煩わしく感じるが、ニーナは次第に心を詳していく。そんな二人がすべてから逃れるため、星降る夜に飛び出した―。温かな恋心でニーナを包み込む陽光と、寄せられる想いに戸惑って踏み出すことができないニーナ。時を経て変化に呑まれながらも、成長していく二人が辿り着いた先とは。

凪良さんの新刊。
勢いにただただ圧倒された。後書から著者にとってすごく大切な位置づけの作品だということが伝わってきたが、本来なら攻めの設定や二人の活躍する場所、諸々の小道具の甘さ(拙いという意味では断じてない。sweetの意)は私が苦手とするところなのだけど、すべてをなぎ倒して進む陽光の力に完敗した。「年下ワンコ」という記号の使い方があまり好きではないのだけど、彼はそんな言葉では表現できないような子だった。

無償の愛と盲目の恋が長年にわたって褪せずブレず陽光の内にある姿はファンタジックですらあるのだけど、彼が恋するニーナの状況を考えると肯けなくもないのだ。なぜなら出会った頃からニーナは「変わらない」から。少なくとも、陽光が少年の数年間は変わらない。外に出るのは夜間だけという引きこもった生活だから、変わりようがないのだ。彼がそういう生活を送るようになるに至った経緯が前半詳細に描かれるが、劣等感やコンプレックスを扱ったBLはとても多い(というより私が選ぶのだけど…)中でも、人生を大きく変えてしまう病気を授かってしまったニーナの苦悩は一際強い。裕福な家庭に生まれたことは幸運だったのかもしれないが、それはそれで外の世界との隔絶が可能な環境に身を置くことに拍車を掛ける。陽光が出会ったニーナは言葉通り「彼だけのもの」だったのだ。一目惚れをした相手を長年想い続けるのは、そう困難なことではないと思う。自分の変化と相手の変化が噛み合わない時にこそ、困難は起きるものだと思うから。だからこの二人の奇跡は、ニーナが外を向き始めても関係が何ら変わらないところにあるのではないかな。少しづつ外の世界を知り仕事を始めるニーナ、俳優業が軌道に乗らず焦る陽光。小さなすれ違いを繰り返しても、陽光は何も変わらずニーナへの想いを持ち続けるのだ。

陽光の大人びて芝居がかった台詞も、天性の明るさをいつだって押し出せる能力も、彼が劇団に所属して子役として活躍をしていたからなのだよね。子供心に陽光は、大勢とは違うことが大変であることを実感として知っている。でも、陽光はニーナの人生をどうこうしたいとは一度も言わない。別れの手紙に王子様のようなことを書いてもそれは子供の夢物語でしかない。ただ、彼は「綺麗だよ」「好きだよ」とシンプルなこの二つを伝え続けるのだ。子供の言葉だから当然なのだけど、それがニーナには有り難くもあったんじゃないかな。最初に書いたように陽光の明るさは私の得意とするキャラではないしメールも語り口調も甘すぎて苦手だ。しかし、そういった苦手なんてどうでもよくなるような陽光なのだ。とにかく、彼の気持ちの強さに圧倒される。

無償の愛にせよ盲目の恋にせよ、人が人を強く(本当に強烈に)想うことで前進する人生がある。それが「恋愛」だと一言では済ませられない救済のような気持ちがある。陽光の一途さに救われたニーナだけど、彼らは夫々に孤独を知っているという描写がとても凪良さんらしいと感じた。どれだけのバックアップがあったとしても、立つのは独り、自分自身なのだと。そこからの人生もまた自分で歩くものなのだよという強い気持ちを感じた。どれだけ頼りにしても、道筋を照らす明かりになっても、依存ではないんだよね。

こんな関係があったら良いな、それはものすごい希望だなと読みながらずっと思っていた。
彼らが歩んできた真夜中の時間が結実して明るい未来への扉を開く。
陽の下に出ることは叶わなくても、ニーナの人生はもう暗くはないのだ。

良い本を読みました。



「遠くにいる人」ひのもとうみ

遠くにいる人 (ショコラ文庫)遠くにいる人 (ショコラ文庫)
(2011/04/09)
ひのもと うみ

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家具工場に勤める佐倉治樹は、本社から移動してきた上司の小田島達朗に恋をした。彼の素行の悪さを知る治樹の幼馴染は、小田島だけは止めておけと何度も言うが、地味な治樹にとって華やかな小田島は憧れずにはいられない存在だった。そして小田島はなぜか事あるごとに治樹をかまい、特別な優しさを向けてくる。期待してはいけないと思いつつ、治樹はその幸せを受け入れはじめるのだが…。

久しぶりに感想を書こうとしたら書き方を忘れてしまったよ。
しかし決まった書き方などあったわけでもないので見切り発車でいきたいと思います。
*後日加筆修正しました

正真正銘の表紙買い。そうしたらこれが面白かった!
オレンジの夕焼けに身体はおろか視線すら絡むことのない人物、その間にある『遠くにいる人』という題。これ以上ないくらい二人の関係性を表現していて素晴らしいと思います。雑誌掲載時の扉絵をそのまま表紙に持ってきたそうですが、大成功している。松尾マアタさんは昨年『嘘つきは紳士のはじまり』で話題になりました。そこで描かれていた英国上流階級の「大人の恋愛」については、多少の反発を感じなくもなかったのですが(お子様ですとも…)、良い挿絵を描く方ですね。

表紙にプラスして個人的な萌えポイントとして「場末の工場」という設定を意識している身としては、堪らないものがありました。おまけに地味で容姿にコンプレックスがある不幸体質な受け。このドン詰まった感じがね、好きなのです。治樹は自分の弱さをよく知っているのだけど、自己憐憫にひたるほど自己中心的にはなれない子なんだよね。過去の恋人達からあまりにも軽んじられてきた為、自分を可哀相だと思う価値すらないと達観してしまっている節がある。卑屈さやグルグル思考も過剰だと鬱陶しくなるのだけど、治樹はすべての上手くいかないことをちゃんと引き受けている子だから応援したくなる。そして彼がグルグルせざるを得ないことを攻めの小田島はあっさりやってしまうんだよね。小田島が最初から治樹の幼なじみである三津狙いで自分に優しくしていたのだと知ってしまったら尚更そうなってしまうのは仕方ない。優しいけど最低な小田島を治樹はそれでも諦めることは出来ない。だからといって積極的に動くことも出来ず、せっかくの誘いは三津の代わりだからと撥ね退けて小田島から逃げまくる。逃げると追いかけたくなるのは世の理というわけで。美しいものが好きと豪語していたはずの小田島は段々治樹のことが気になっていく。二人の間にある心理的な遠さ、立場的な遠さ、そういったものに臆する治樹の片思いが可哀相で可愛い。

小田島は苦労知らずの坊ちゃんのようだけど、そういった人に特有の鷹揚さは持ち合わせていてもひたすらに傲慢だ。彼は屈折しているわけでもなくただ鈍感だから平気で治樹を傷付ける。悪気がない無神経さって最高に厄介だよね。しかしこの話の面白さは攻めの小田島にあったと思う。小田島の傲慢で勝手な言葉に治樹が傷付く→小田島を避けるようになる→どうして避けられるのかわからずまた酷い言動を取る→また避ける、という自業自得の悪循環に陥る様子が、言葉は悪いかもしれないが「ざまーみろ」という感じで面白いのだ。そして思い通りにならない治樹に対して彼が語る言い訳(not嘘)や、精一杯伝えようとする本音の部分がすごくカッコ悪くて可笑しい。旅館をキャンセルした恨み節や、告白出来なかったのを治樹のせいにしちゃうところとか、「都合いいこと言ってんじゃないわよ~!」と苛々しながらも、バカみたいに正直な小田島が治樹同様可愛く思えてしまうんだ。傲慢であり得ないぐらい嫌な男なのにギリギリの魅力がある。もちろん、傲慢な男が見くびっていた相手に振り回され、骨抜きにされる様を読むのが気持ち良いというのもあるけれど、終始不思議と憎めない小田島だった。この人物造形のバランス感覚は珍しいのではないだろうか。こんな性格では今まで治樹とは違った意味で、「まともな恋愛」が出来なかったわけだよこの野郎!と思いつつ、だからこそ治樹のような「アヒルの子」に捕まったのだと考えると納得もいくのだ。遊び人ほどストンと大人しい人に落ち着くというしね。この男はもっと治樹に振り回されて、三津に苛められて痛い目を見るといいよ!

おまけのペーパーは治樹の良き友人であり小田島の小姑でもある三津の話。
ひのもとさんの魅力は会話の軽快さにもあると思う。ぽんぽん出てくる彼らの台詞はキャラに馴染んでいて上手い。
同人誌の方では長く活動されているようですがそれも納得です。

全体的にテンプレな展開ではあるのだけど丁寧で上質な物語に感じました。
今後も要チェック!良い本を読みました♪
  

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「少年魔法士 第一章―香港ジャック・ザ・リッパー」

mahousi1.jpg
『少年魔法士①』なるしまゆり(新書館/1996/9/25初版発行)

1996年、香港。街では、若い女性の腹を裂く連続殺人事件が発生。事件に関わるグィノー家の裏切り者征伐のために、ローゼリットは“風使い”候補のカルノを呼び寄せる―。不夜城都市・香港を舞台に繰り広げられる、めくるめくファンタスティック・バトル!


二人の主人公、カルノ・グィノーと敷島勇吹が出会う前日譚にあたるカルノの話。
彼が直面する自分の力とローゼリットとの別れを描いた「香港ジャック・ザ・リッパー」編。

私たちが普通に生活をしている現実のすぐ側に隠れて、魔法使いや悪魔や神霊的な存在がある世界。少数の力ある魔法組織に無数の「力」を持った人間が所属し、力を磨き、利用し、生きている世界。『少年魔法士』はそんな世界観のお話です。あらすじの通り、返還前の混乱の最中にある香港では、若い女性を殺して腹を裂く事件が頻発していた。グィノー家の人間が事件に絡んでいるとの情報を得たローゼリットは弟のカルノに自分の手伝いをするよう香港まで呼び寄せる。「悪魔つき」「悪魔喰い」として幼い頃に神聖騎士団(ホーリー・ナイツ)のハイマンに拾われてから、謂われなき迫害を受け忌み嫌われてきたカルノ。それはグィノー家という居場所を得ても変わることはなかった。魔法使いとしての才能はあるものの、修行嫌いで何よりも魔法自体が大嫌いな彼は「魔法使い」としての自分と上手く折りあいを付けることが出来ずにいる。そんな彼を姉であるローゼリットは根気よく導くのだ。それは魔法を使うことで「生かされる」現実と彼が対峙しなくてはいけない時が必ず来るとわかっているからなんだよね。
後書でなるしまさんも仰っているように、カルノのダークヒーローっぷりというかスプラッタぶりが結構凄まじい1巻なので、「これは一体どんなホラー漫画?」と思われるかもしれない。が、それが理由で読むのを止めるのは本当に勿体ないのである。どうか2巻まで手に取って欲しい。

猟奇殺人の本当の目的は臓物を使って行う「占術」にあった。黒幕であるアーネスト・ラムはグィノー家の出身で秘術を漏らした裏切り者であると同時に、ローゼリットにとって因縁深い相手だったのだ。冒頭から時折見られるカルノとローゼリットの視線や会話の間にある「何か」が次第に明かされていく。単刀直入に言うと、ローゼリットは既にラムによって殺されており、魔法によって肉体を保っているに過ぎなかったのだ。猟奇殺人事件は表向きのストーリー。裏にあるのは異端の存在である魔法使い達の苦悩だろう。ローゼリット然り、ラム然り、彼らは自分が一般人とは異なる特別な能力を持つが故に、過酷な運命を背負ってしまう。ローゼリットを殺した理由をラムは、「好いていたから」と云うが、カルノには「だから終わらせようとした」というラムの言葉を理解することが出来ない。カルノはローゼリットが必死にカッコよくあろうとした姿だけを正しく見てきたから。しかし、ラムの云うようにローゼリットが「疲れていた」のも本当だったのだ。力と共に生まれ持った因果なのか少女の姿のまま成長しない自分、どんどん成長して綺麗になるカルノの存在。だからラムに腹を裂かれた彼女は「まぁいいや」と思ったのだ。カルノがそこにある複雑な女の感情を理解したかはわからない。でも、「―永遠の女」とローゼリットとの関係を語るように、わかっている部分もあったのだろう。真の理解者であったかもしれないラムの行為を彼女が実は半ば許容していたのではないかということ、それでも愛するカルノに見ていて欲しかった自分で居られたことの幸せ、その二つがローゼリットの中に同居しているくだりが大好きだ。

「カルノ」の名前はローゼリットが付けた。彼らは本当の姉弟ではない。ローゼリットが「カルノ」と呼ぶから、彼はカルノとして生きてこられたのだ。名前を呼ぶその声だけが真実だ、と云うカルノの愛情が切ない。唯一の愛を向ける相手が損なわれてしまった絶望と怒りが、彼の力を引き出しラムを倒すことに成功する。しかし同時にローゼリットとの永遠の別れもやってくるのだ。家族のような、姉弟のような、恋人のような絆で結ばれていたローゼリットの死を、しかし彼女はあらん限りの愛情と言葉でカルノに伝えるのだ。その希望の言葉こそ、なるしまさんの漫画の底に流れている明るさなのではないかと思う。巻数をすすめる毎に過酷になる主人公二人の運命だが、どこかで「最後には負けないでね」という言葉に支えられていると思うのだ。

第一章はまだ序章に過ぎない。
カルノは再びハイマンの元に戻されることになる。この後物語に大きく関わることになる神聖騎士団の総長レヴィ・ディブランとその恋人である高位生物のナギも顔を見せるが、カルノの悲劇を見届ける傍観者のような役割でしかない。それでもレヴィが彼を気に留めるのは、彼もまた同じように「異端」の身に苦しまされているからなのだ。カルノの抱える異端、「悪魔憑き」とは一体どういうことか。「悪魔を喰らう」とは一体どういうことか。カルノの能力がなぜ忌み嫌われるのかが終盤に明かされる。通常魂は魔なるものとは同化しない。食われる(憑かれる)とすれば、その時点でそれは人ではなく魔的な何者かになってしまう。しかしカルノは違う。魔を喰らい、同化し、自分の意識を何ら変わることなく人の姿を保って存在している。それでも彼は「人間」なのだと「魔物ではない」のだと、一体何が証明するのだろうか?カルノが「異端者」として迫害されるのはそういった理由からなのだ。そしてまた、カルノ自身も自分の暴力性や思考回路が自分のものか、それとも喰った悪魔のものかわからなくなるときがある。それでも彼は生きようとするのだ。

個体の実存認識は一体何によってなされるのか。魂は、心は、何処にあるのか

『少年魔法士』の根底にはずっとこのテーマがある。異端として生まれついてしまった少年たちが、「いかに生きるか」を模索するヒューマンドラマであると同時に、人間とは何によって人間足り得るのか、孤独とは何か、そういった問いかけを続けているのだ。その点に関しては本当にブレがない。少なくとも、私にはそう感じられる。ものすごい真摯さと抑制によって出来あがった奇跡のような物語だと思うのだ。



***

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プロフィール

Author:yori
気がつけばいつもそばにBL.猫かぶってみても、結局たどりつくのはそこなのです。感想は基本的にすべてネタバレ注意です。拍手&コメントありがとうございます。拍手コメントは該当記事のコメ欄にてお返事いたします。リンクフリーですがご一報頂けると嬉しいです。

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