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「HOME」木原音瀬

HOME (Holly NOVELS)HOME (Holly NOVELS)
(2010/12/11)
木原 音瀬

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長い間、片想いしていた男が死んだ。篤は、男が育てていた姉の子供・直己を彼と思い引き取って育てはじめるが、心を閉ざした子供は篤に懐かなかった。やがて少年は大学生にまで成長したが、相変わらず何を考えているのかわからない態度や容姿には、愛した男の陽気で優しい面影はなかった。篤は役目が終わったことを感じ、見合いを決める。しかしその夜、直己の態度が一変し…。衝撃の問題作、ついに新装版で登場。

楽しみにしていた木原さんの『HOME』!
怖々読み始めたのだけど、とても好きになりました。
しかし上手くまとめられる気がまったくせずダラダラ長文に…。

以下、ネタバレ注意。

すごく面白かった。
物語の中で起こる出来事と登場人物の感情に、何一つ「なぜ?」と思うところがなかった。
というのも、私は木原作品を読むときかなりの確率で恋愛に至る状況に肯けないことがあるから。木原さんが描く関係性というのはデビュー作から徹底していると思う。簡単に云ってしまえば、「(社会的or人格的)に、こんな男を好きになる人はそういないだろう」という人物を登場させ、恋に至る過程を描いている。それは素晴らしい感情の転換で、嫌な奴だった男が次第に可愛く思えてくる様子など読んでいてとても心地が良い。それは「自分だけが彼を理解している」という優越感を満たしてくれるからかもしれないね。でも、「どんなに嫌な人でも何かひとつ好きなところがあればそれは恋に成り得る」という人間感情の不思議に、読者である私は「果たしてそうだろうか?」と思う事もあったのだ。もちろん木原作品を否定しているわけではないし、BLフィルターが掛りにくいというのも一因だろう。

『HOME』で描かれるのは薄ら寒くなるような「家族」の姿だ。
「家」という密室で起こり得るマイナス方面の愛情について、これでもかと突き付けてくる。
篤は好きだった男の血を引いているから、という妄執に近い理由で血の繋がらない直己を引き取り育てる。死んだ双子の弟へのコンプレックスから篤は他者から愛されているという自信もまったく持てないまま大人になった。愛情表現に乏しく懐かない子供への関わり方もわからない。責任感の強い篤は直己に対して「衣食住」の世話を欠かしたことはなく、それは直己が大学進学を決める年齢になっても何一つ変わることはなかった。家事の一切を引き受け仕事をしながら当然のようにそれをこなす。篤の行動は保護者として不足のないもののように一見思えるのだが、そこに肝心の「愛情」がなかった。まったくなかったかというと私は違うと思うが、子供に伝わる形での愛情は、なかった。死んだ男の影をいつまでも追い続ける篤には直己自身と向き合う気持ちがなかったのだから。篤は歪で身勝手で優しくて哀しい。一方直己は、母親が死に、叔父と恋人が死に、篤だけしか頼る者がいない環境でまるで食事だけを与えられて飼い殺しのようだと感じながら成長をする。愛していないのに何故引き取ったと篤を責める直己もまた、可哀相な子供なのだ。

まともな会話はなくても食事は必ず共に取り、篤はご飯を作り直己は食器を洗う。
二人だけのHOMEで二人だけの粛々とした生活を続ける。何かの苦行のように。そんな生活に先に音を上げたのは篤の方だった。見合いを決めた篤を直己は酷い暴力で犯す。家というのは密室だ。そこは決して万人にとって心安らげる場所ではない。それでも家という形が目の前にあれば、人は帰らざるを得なくなる。激しい嫌悪を覚えた篤は直己のことが怖くて怖くて仕方がなくなる。その怯え方はトラウマといっても過言ではない。二度と会いたくない、顔も見たくない、別々に暮らしたい。そう願うのに、篤は「自分がいないと死んでしまいそうな」直己のことを放って置くことが出来ず家に戻る。友人の立原はそんな篤を怒るが、彼の言葉は篤には届かない。友人の言葉よりも家族を選択してしまう。

暴力を受けても、恐怖に震えても、家族だからとHOMEを選ぶ。
それはとても怖いのだけど、でも、どこかわかる気がする自分がいるのだ(気がするだけよ!)
最初に書いた「なぜ?」がないというのはそういうことだ。
暴力と愛情は相反する行為のはずなのに、それをうやむやにする効力がHOME(家族)にはある。
認めたくはないが、確かにあると思うのだ。

直己は篤を「母親」にすると同時に「恋人」にしたかった。
私がその感覚にも疑問を抱く余地がなかったのは、多分に「ありそうなことだ」と思ってしまったからだ。
身の回りの世話をさせ、自分だけを愛するように強要し、自分もまた強い強い愛情をぶつける。子どもの頃に出来なかった甘えの形を、直己は大人になってから篤にぶつける。その愛情の種類がいつしか度を超えていたとしてもそれは仕方がないことのようにも思えてくるのだ。どちらも悪くて、どちらも悪くないのだ。
偽善的な独りよがりの行為だと篤は直己を引き取ったことを後悔するが、彼は決して途中で放棄をしなかった。でも愛情が足りないせいで直己が歪んだのは悲しいけど多分事実なのだ。その上手くいかなさが、家族のリアルだと思うんだ。怖いのだけど哀しくて、とにかく夢中で読んでいた。

二人の関係は変化を続ける。
篤は直己が死にかけて漸く直己への感情を恋愛だと自覚する。本当はもっと前から気が付いていて見て見ぬふりをしていたのを、やっと認めるのだ。かつて恋した男は「顔が同じ」であるはずの双子の弟を生涯のパートナーに選んだ。弟よりも自分のことを好きだと云う人間はいなかったという自虐に捕われている篤にとって、直己の言葉は素直に嬉しいものだったのだ。家族から恋人めいたものへ、事態は良い方向に動きそうになるが、そうはいかない。
直己が交通事故に合い、それまで示した甘い愛情表現の一切をしなくなり家に引きこもるようになるのだ。一瞬開けたかのように思えた彼らのHOMEは、また地獄の密室へと逆戻りをする。家族だから、恋している男だから、と献身的な世話をする篤の様子は、ただ衣食住の世話をしていた子供の頃と変わらないように直己の目には映ってしまう。実際篤は仏頂面の直己との対話をすぐに諦め、あろうことか飲酒を始める。酔っていなければまともに向き合うことも出来ず、話す内容は当たり障りのないことばかり。篤はやっぱり愛し方がわからないままなのだ。

篤は「顔」に縛られている。直己に男の姿を求め、「弟と同じ顔なのに、なぜ」と繰り返す。
この篤の負の感情が後に報いとして直己の行動に返ってくるのだ。実は、私はこの直己の行動を予想していたのだ。なぜなら既読の方が一様に「痛い」と云っている理由がわからなかったから。で、つらつら考えるうちに、きっと直己はこうするに違いないと思ったら当たったので驚いた。
狂ってると云ってしまうのは簡単だけど、愛情と憎しみを極限まで募らせた結果の直己の行動は、篤が云うように酷く悲しい。直己にとって「自分」などというものは端からなかったのかもしれない。ただ、篤に「愛されよう」とする子供が居ただけで、彼の自我は「表面」を含んではいなかったのかもしれない。もしくは盛大なあてつけであり、復讐かな。それでも極端すぎる彼の行動は「子供」のソレだ。篤は既に男の「顔」など求めてはいなかったのに、彼は死ぬまで愛されながら断罪されることになるのだ。怖い。とても怖くて外から見れば狂っているような二人なのだけど、彼らは時に激しい後悔に苛まれながらも、きっと、多くの幸福な瞬間を積み重ねていくのだ。


面白かったです。
すごい本を読みました。


***

近況報告。

これで今年の感想は終わりかな?
ちまちまとベストの記事を書いているので、上がり次第アップしたいです。
ほとんど出来ているのですが記事内リンクが面倒であと一歩なのでした(笑)

さて。

私はいつか『HOME』を自分の店から排除しなくてはいけない日を迎えるのでしょうか?
一体なぜ?という数え切れないなぜを繰り返して、東京都の青少年健全育成条例改正案が可決されました。
今一番痛感しているのは、売り手として何らかの制約を受けることを飲み込み、そこから何が出来るのかを前向きに考えなければいけないということです。作り手と買い手の間に立つ自分の状況を冷静に客観視することが出来ず、今もなかなか言葉にまとまりません。でも売り手として、これから起こる事を真摯に柔軟に考えていきたいです。


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