『少年魔法士①』なるしまゆり(新書館/1996/9/25初版発行)
1996年、香港。街では、若い女性の腹を裂く連続殺人事件が発生。事件に関わるグィノー家の裏切り者征伐のために、ローゼリットは“風使い”候補のカルノを呼び寄せる―。不夜城都市・香港を舞台に繰り広げられる、めくるめくファンタスティック・バトル!二人の主人公、カルノ・グィノーと敷島勇吹が出会う前日譚にあたるカルノの話。
彼が直面する自分の力とローゼリットとの別れを描いた「香港ジャック・ザ・リッパー」編。
私たちが普通に生活をしている現実のすぐ側に隠れて、魔法使いや悪魔や神霊的な存在がある世界。少数の力ある魔法組織に無数の「力」を持った人間が所属し、力を磨き、利用し、生きている世界。『少年魔法士』はそんな世界観のお話です。あらすじの通り、返還前の混乱の最中にある香港では、若い女性を殺して腹を裂く事件が頻発していた。グィノー家の人間が事件に絡んでいるとの情報を得たローゼリットは弟のカルノに自分の手伝いをするよう香港まで呼び寄せる。「悪魔つき」「悪魔喰い」として幼い頃に神聖騎士団(ホーリー・ナイツ)のハイマンに拾われてから、謂われなき迫害を受け忌み嫌われてきたカルノ。それはグィノー家という居場所を得ても変わることはなかった。魔法使いとしての才能はあるものの、修行嫌いで何よりも魔法自体が大嫌いな彼は「魔法使い」としての自分と上手く折りあいを付けることが出来ずにいる。そんな彼を姉であるローゼリットは根気よく導くのだ。それは魔法を使うことで「生かされる」現実と彼が対峙しなくてはいけない時が必ず来るとわかっているからなんだよね。
後書でなるしまさんも仰っているように、カルノのダークヒーローっぷりというかスプラッタぶりが結構凄まじい1巻なので、「これは一体どんなホラー漫画?」と思われるかもしれない。が、それが理由で読むのを止めるのは本当に勿体ないのである。どうか2巻まで手に取って欲しい。
猟奇殺人の本当の目的は臓物を使って行う「占術」にあった。黒幕であるアーネスト・ラムはグィノー家の出身で秘術を漏らした裏切り者であると同時に、ローゼリットにとって因縁深い相手だったのだ。冒頭から時折見られるカルノとローゼリットの視線や会話の間にある「何か」が次第に明かされていく。単刀直入に言うと、ローゼリットは既にラムによって殺されており、魔法によって肉体を保っているに過ぎなかったのだ。猟奇殺人事件は表向きのストーリー。裏にあるのは異端の存在である魔法使い達の苦悩だろう。ローゼリット然り、ラム然り、彼らは自分が一般人とは異なる特別な能力を持つが故に、過酷な運命を背負ってしまう。ローゼリットを殺した理由をラムは、「好いていたから」と云うが、カルノには「だから終わらせようとした」というラムの言葉を理解することが出来ない。カルノはローゼリットが必死にカッコよくあろうとした姿だけを正しく見てきたから。しかし、ラムの云うようにローゼリットが「疲れていた」のも本当だったのだ。力と共に生まれ持った因果なのか少女の姿のまま成長しない自分、どんどん成長して綺麗になるカルノの存在。だからラムに腹を裂かれた彼女は「まぁいいや」と思ったのだ。カルノがそこにある複雑な女の感情を理解したかはわからない。でも、「―永遠の女」とローゼリットとの関係を語るように、わかっている部分もあったのだろう。真の理解者であったかもしれないラムの行為を彼女が実は半ば許容していたのではないかということ、それでも愛するカルノに見ていて欲しかった自分で居られたことの幸せ、その二つがローゼリットの中に同居しているくだりが大好きだ。
「カルノ」の名前はローゼリットが付けた。彼らは本当の姉弟ではない。ローゼリットが「カルノ」と呼ぶから、彼はカルノとして生きてこられたのだ。名前を呼ぶその声だけが真実だ、と云うカルノの愛情が切ない。唯一の愛を向ける相手が損なわれてしまった絶望と怒りが、彼の力を引き出しラムを倒すことに成功する。しかし同時にローゼリットとの永遠の別れもやってくるのだ。家族のような、姉弟のような、恋人のような絆で結ばれていたローゼリットの死を、しかし彼女はあらん限りの愛情と言葉でカルノに伝えるのだ。その希望の言葉こそ、なるしまさんの漫画の底に流れている明るさなのではないかと思う。巻数をすすめる毎に過酷になる主人公二人の運命だが、どこかで「最後には負けないでね」という言葉に支えられていると思うのだ。
第一章はまだ序章に過ぎない。
カルノは再びハイマンの元に戻されることになる。この後物語に大きく関わることになる神聖騎士団の総長レヴィ・ディブランとその恋人である高位生物のナギも顔を見せるが、カルノの悲劇を見届ける傍観者のような役割でしかない。それでもレヴィが彼を気に留めるのは、彼もまた同じように「異端」の身に苦しまされているからなのだ。カルノの抱える異端、「悪魔憑き」とは一体どういうことか。「悪魔を喰らう」とは一体どういうことか。カルノの能力がなぜ忌み嫌われるのかが終盤に明かされる。通常魂は魔なるものとは同化しない。食われる(憑かれる)とすれば、その時点でそれは人ではなく魔的な何者かになってしまう。しかしカルノは違う。魔を喰らい、同化し、自分の意識を何ら変わることなく人の姿を保って存在している。それでも彼は「人間」なのだと「魔物ではない」のだと、一体何が証明するのだろうか?カルノが「異端者」として迫害されるのはそういった理由からなのだ。そしてまた、カルノ自身も自分の暴力性や思考回路が自分のものか、それとも喰った悪魔のものかわからなくなるときがある。それでも彼は生きようとするのだ。
個体の実存認識は一体何によってなされるのか。魂は、心は、何処にあるのか『少年魔法士』の根底にはずっとこのテーマがある。異端として生まれついてしまった少年たちが、「いかに生きるか」を模索するヒューマンドラマであると同時に、人間とは何によって人間足り得るのか、孤独とは何か、そういった問いかけを続けているのだ。その点に関しては本当にブレがない。少なくとも、私にはそう感じられる。ものすごい真摯さと抑制によって出来あがった奇跡のような物語だと思うのだ。
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何度も何度も云って本当に申し訳ないのですが、とにかくカルノが好きで好きで好きで…という一巻一章なのでした。しかし、少しだけ冷静になって考えると、私には神様のような作品ですが、カルノのことを好きに(気になるという意味でも)ならないと、次巻に手は伸びにくい作品かもしれないなと思いました。そして、テーマも思春期の心だからこそ強く惹き付けられたものであるような気もします。だから、今現在の私の周囲に居る方々になんて云っておススメをすれば良いのか正直よくわからないんだよね。それでも、どうか手に取って頂けたらなと思います。
雑記でちょこっと触れましたが、感想は第二章の途中まで書いていました。
続きをアップする予定は今の時点では未定です。まとめて書くことで全体のバランスを見たりもしたかったのだけど、今書くとちょっと無理をしてしまいそうなので、14巻発売までにと目標を決めておきます。